終末のワルキューレがひどいと言われる7つの理由と5つの魅力

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神々と人類の壮大な戦いを描く『終末のワルキューレ』。累計発行部数1,800万部を突破し、アニメ化も果たした本作ですが、ネット上では「ひどい」という評価が目立ちます。SNSや検索キーワードでも「終末のワルキューレ ひどい」というワードが頻繁に検索されており、これから視聴・購読を検討している方は不安に感じているかもしれません。

しかし、実際のところ本作は本当に「ひどい」作品なのでしょうか?批判の声がある一方で、熱狂的なファンも多数存在し、アニメ第3期まで制作されるなど確かな人気を誇っています。この記事では、終末のワルキューレが「ひどい」と言われる7つの具体的な理由を徹底解説しつつ、それでもなお多くのファンを魅了する5つの魅力についても公平に分析します。批判と称賛、両方の視点から本作の真価を見極めていきましょう。

目次

終末のワルキューレがひどいと言われる7つの理由を徹底解説

終末のワルキューレに対する批判的な意見は、主にアニメ版に集中しています。壮大な設定とキャッチーなコンセプトで期待を集めた本作ですが、実際の映像化では多くの視聴者を失望させる結果となりました。ここでは、具体的にどのような点が「ひどい」と評価されているのか、7つの理由を詳しく見ていきましょう。

アニメ1期の作画が紙芝居のようで期待外れ

終末のワルキューレのアニメ1期で最も厳しく批判されたのが、作画クオリティの低さです。本作の醍醐味である神々と人類の激しいバトルシーンが、まるで紙芝居を見ているかのように静止画が連続する演出となってしまいました。

制作を担当したグラフィニカは『HELLO WORLD』などで高いCG技術を見せたスタジオですが、本作では本来の実力が発揮されていません。キャラクターの動きが極端に少なく、カメラのパンやズーム、エフェクトでごまかすシーンが目立ちます。特に戦闘シーンでは、必殺技を繰り出す瞬間すら止め絵で表現されることが多く、「スライドショーを見ているよう」との酷評が相次ぎました。SNSでは「動画で一番動いているのがカメラだけ」という皮肉めいたコメントに多くの共感が集まり、アニメとしての基本的なクオリティに疑問が投げかけられたのです。

バトル漫画のアニメ化において、戦闘シーンの迫力は作品の生命線です。しかし本作は、その最も重要な部分で視聴者の期待を大きく裏切る結果となってしまいました。

戦闘シーンが長すぎてテンポが悪い

終末のワルキューレのもう一つの大きな問題点は、1試合あたりのエピソード数の多さです。アニメ1期では第1回戦に4話、第2回戦に3話、第3回戦に5話と、13試合ある設定なのに3試合しか描かれず、物語が全く進んでいないような感覚に陥ります。

原作でも1試合あたりの話数は多めですが、漫画では読者が自分のペースで読み進められるため、さほど気になりません。しかしアニメでは制作側が決めたテンポで視聴するしかなく、戦闘中に頻繁に挟まれる回想シーンや観客のリアクション、解説が延々と続くことで、視聴者のストレスが蓄積されていきます。

ある視聴者は「1話で双方が1〜2回攻撃すればいい方」と指摘しており、実際の戦闘描写よりも周辺要素に時間を割きすぎているのです。このテンポの悪さは、倍速視聴をしても改善されないほど深刻で、「ドラゴンボールZかよ」というツッコミまで飛び出す始末でした。本来であれば手に汗握る展開であるはずが、冗長な演出により緊張感が失われてしまっています。

主人公が誰なのか分からず感情移入できない

終末のワルキューレでは、ラグナロクを提案したワルキューレのブリュンヒルデが物語の中心にいるように見えますが、実際の戦闘では毎回異なる人類代表と神々が主役を務めます。このオムニバス形式の構造により、「結局誰が主人公なのか」という疑問が生まれてしまうのです。

呂布奉先、アダム、佐々木小次郎と次々に登場人物が入れ替わり、それぞれのキャラクターに深く感情移入する前に次の戦いへと移行してしまいます。ブリュンヒルデは全体を通して登場しますが、彼女自身は戦わないため、視聴者が応援する対象が定まりにくいのです。

一般的なバトル漫画では主人公の成長を軸に物語が展開しますが、本作では各戦士の過去を回想で語る形式のため、キャラクター描写が断片的になりがちです。また、人類代表には日本人が多く選ばれているものの、その人選基準も曖昧で、「なぜこの人物が選ばれたのか」という疑問も残ります。主人公不在の物語構造が、作品への没入を妨げる一因となっているのです。

神と人間の設定に説得力がなく雑

終末のワルキューレの根本的な設定である「神vs人類」という構図自体に、多くの視聴者が違和感を覚えています。そもそも全知全能の神々に対して、歴史上の人物がどうやって対抗できるのかという点で、説得力に欠けると感じる人が少なくありません。

作中では「神器錬成」というワルキューレとの合体システムにより人類が神と戦えるようになっていますが、そのパワーアップの度合いが曖昧です。人類代表の強さにも明確な基準がなく、なぜアダムやジャック・ザ・リッパーのような「戦士」ではない人物が人類最強の13人に選ばれるのか、納得のいく説明がありません。

特にアダムがゼウスと互角以上に戦うシーンは、「人類の父」という設定だけで神に匹敵する力を持つことに対し、「リアリティがなさすぎる」との批判が集まりました。また、ジャック・ザ・リッパーのような連続殺人犯が人類代表となることも、倫理的な観点から疑問視する声があります。神と人類の力関係、人選基準の甘さが、作品世界への説得力を損なう要因となっています。

史実や神話と異なる独自解釈が多すぎる

終末のワルキューレは神話や歴史上の人物を題材にしていますが、その描写が原典と大きく異なることも批判の対象です。神話や史実に詳しいファンほど、作中の独自解釈に違和感を覚えやすい傾向があります。

例えば、アダムの回想シーンは旧約聖書の記述とは大きく異なる内容となっており、神話マニアからは「設定が雑すぎる」という指摘が出ています。トールやゼウス、ポセイドンといった有名な神々も、本来の神話における性格や能力とはかけ離れた描写がされており、「元ネタへのリスペクトが足りない」との声も。

歴史上の人物についても同様で、佐々木小次郎や呂布奉先の生涯が大胆にアレンジされています。史実を知っている人からすれば、「こんな人物ではなかった」と感じる部分が多々あるのです。もちろんフィクションである以上、ある程度の脚色は避けられませんが、あまりにも独自解釈が強すぎると、元ネタを知っている層からは敬遠されてしまいます。神話や歴史に対する知識が豊富な人ほど、本作の設定に納得できない傾向が強いのです。

グロい描写が多く不快感を覚える

終末のワルキューレの戦闘描写は非常に過激で、四肢が吹き飛ぶシーンや大量出血など、グロテスクな表現が頻繁に登場します。人類存亡をかけた命懸けの戦いという設定上、ある程度の暴力描写は必要かもしれませんが、その描き方があまりにも生々しく、視聴者に不快感を与えることがあります。

初戦の呂布奉先の最期は首が飛ばされ、さらに潰されるという凄惨なもので、その肉片までもが細かく描写されています。また、アダムとゼウスの戦いでも、顔面が陥没するような激しい攻撃が繰り返され、見ていて痛々しい気持ちになる視聴者も少なくありません。

特にアニメ版では血飛沫や肉体の損傷が色付きで表現されるため、漫画以上に生々しさが増しています。「グロ描写が苦手」「食事時には見られない」といった声も多く、家族で視聴するのをためらう人もいます。戦いの激しさを表現するためとはいえ、過度なグロ描写は作品の間口を狭めてしまう要因となっているのです。

神の言葉遣いが現代風で違和感がある

終末のワルキューレに登場する神々は、威厳ある存在であるはずが、「ポテチ」「カス」「マジで」といった現代的でカジュアルな言葉遣いをすることが多く、これに違和感を覚える視聴者が多数います。

神話の世界から来た神々が、まるで現代の若者のような口調で話すことで、キャラクターの格や威厳が損なわれていると感じる人が少なくありません。特にゼウスは最高神でありながら「戦闘愛好嗜虐変態神」と呼ばれるほどチャラい性格で、神々の頂点に立つ存在とは思えない言動が目立ちます。

もちろん、親しみやすさを演出するための意図的な設定かもしれませんが、神話に登場する神々に対して敬意や畏怖の念を抱いている読者にとっては、このフランクすぎる描写は受け入れがたいものです。「神様なのに軽すぎる」「威厳がまったくない」という批判は、キャラクター造形の問題として指摘され続けています。言葉遣い一つで作品世界の説得力が大きく変わってしまう、という典型的な例と言えるでしょう。

終末のワルキューレの打ち切りやパクリの噂は本当か

終末のワルキューレに関しては、「打ち切り」や「パクリ」といった不穏な噂も飛び交っています。これらの噂は本当なのでしょうか?ネット上で広まった情報の真偽を、具体的な証拠とともに検証していきます。作品を正しく評価するためには、デマと事実を区別することが重要です。

打ち切りの噂は根拠のないデマ

結論から言えば、終末のワルキューレが打ち切りになったという事実はありません。この噂が広まった理由は、アニメ1期が第3回戦までの全12話で終了し、区切りが中途半端に感じられたことが原因と考えられます。

実際には、原作漫画は「月刊コミックゼノン」で2018年から現在も連載中であり、累計発行部数は2024年時点で1,800万部を突破しています。さらに、アニメも第2期が2023年に配信され、2024年12月には第3期がNetflixで独占配信されるなど、シリーズは順調に展開しています。

打ち切りどころか、公式スピンオフ作品として『終末のワルキューレ異聞 呂布奉先飛将伝』『終末のワルキューレ奇譚 ジャック・ザ・リッパーの事件簿』『終末のワルキューレ禁伝 神々の黙示録』なども連載されており、メディアミックス展開も活発です。作品が打ち切られるどころか、むしろ拡大を続けている状況です。

また、「このマンガがすごい!2019」オトコ編や「全国書店員が選んだおすすめコミック2019」など、数々の漫画賞にランクインしており、業界からの評価も高い作品であることが分かります。打ち切りの噂は、アニメ1期の中途半端な終わり方に対する視聴者の不安が生んだデマであり、事実無根です。

進撃の巨人との類似シーンがパクリ疑惑に

終末のワルキューレには「パクリ」疑惑も存在します。その代表的なものが、『進撃の巨人』との類似性です。具体的には、トールの回想シーンで「巨人に襲撃され、人々が捕食される」という場面があり、これが進撃の巨人の設定と酷似していると指摘されています。

確かに、巨人が人間を襲って食べるという設定、城壁の中で暮らす民衆という構図は、進撃の巨人を連想させる要素が多く含まれています。SNS上では「これは完全に進撃のパクリだろ」という意見も見られました。

ただし、巨人が人間を襲うという設定自体は北欧神話に元々存在するモチーフであり、必ずしも進撃の巨人が起源というわけではありません。終末のワルキューレは北欧神話のラグナロクを題材にしているため、神話の原典を参照した結果、偶然似てしまった可能性も考えられます。

とはいえ、視覚的な表現が進撃の巨人と非常に似ている点は事実であり、オマージュなのか偶然なのか、意図的なパクリなのかは明確ではありません。制作側から公式な見解が出ているわけでもないため、真相は不明のままです。ただ、現時点で訴訟問題に発展したり、公式に問題視されたりはしていないため、法的には問題ないレベルと判断されているようです。

公式ライバル「魔女大戦」との設定の類似性

終末のワルキューレには「公式ライバル作品」として認定されている『魔女大戦』という漫画が存在します。この魔女大戦と終末のワルキューレは設定が非常に似ており、一部で「どちらかがパクリなのでは?」という議論が起きています。

魔女大戦は、神々と魔女たちが戦うという設定で、神vs人類という構図、一対一の戦闘形式など、終末のワルキューレと共通点が多い作品です。ただし、両作品は「公式ライバル」という位置づけであり、お互いを意識した切磋琢磨する関係性として認められています。

この公式ライバル関係は、出版社やクリエイター間で公認されているものであり、悪意あるパクリとは異なります。むしろ、似たテーマを扱う作品同士が競い合うことで、両方の作品がより良いものになっていくという前向きな関係性と言えるでしょう。

しかし、両作品を知らない第三者から見れば、「設定が似すぎている」と感じるのも無理はありません。実際、どちらが先に連載を開始したのか、どちらがオリジナルなのかという議論も一部で見られます。ただし、公式にライバル関係として認められている以上、これをパクリと断じるのは適切ではないでしょう。両作品ともそれぞれの魅力を持った独立した作品として評価されるべきです。

それでも終末のワルキューレが支持される5つの魅力

批判的な意見が目立つ終末のワルキューレですが、一方で熱狂的なファンも多数存在し、累計1,800万部を突破するヒット作となっています。アニメも第3期まで制作され、世界84ヵ国で週間グローバルTOP10入りを果たすなど、確かな人気を誇ります。ここでは、批判を超えて多くの人々を魅了する本作の5つの魅力に迫ります。

神話と歴史の英雄が全力で戦う唯一無二のコンセプト

終末のワルキューレ最大の魅力は、「神vs人類」という誰もが一度は想像したことがある夢の対決を実現した点です。ゼウス、トール、ポセイドンといった神話の神々と、アダム、佐々木小次郎、呂布奉先といった歴史上・神話上の英雄たちが本気でぶつかり合う――このシンプルかつ壮大なコンセプトは、他のバトル漫画には見られない独自性を持っています。

神話や歴史に少しでも興味がある人なら、「もしこの2人が戦ったらどうなるのか」という妄想を楽しんだ経験があるでしょう。本作はそんな空想を形にした作品であり、まさに「小学5年生が気絶するほどテンションが上がる」と公式が謳う通りの興奮を提供してくれます。

北欧神話のトールが中国の呂布と戦う、ギリシャ神話のゼウスが全人類の父アダムと拳を交えるなど、異なる文化圏の伝説的存在が一堂に会する光景は、まさに唯一無二です。このクロスオーバーの魅力は、設定の細かい粗を超越する強烈な引力を持っており、多くのファンを虜にしています。

予測不能な展開と勝敗にドキドキする

終末のワルキューレのもう一つの大きな魅力は、勝敗が最後の最後まで読めない点です。神々は全知全能の存在であり、人類が勝てるはずがないように思えます。しかし、作中では人類代表が驚異的な粘りと工夫で神々に立ち向かい、時には勝利を収めることもあります。

特に第2回戦のアダムvsゼウスは、「このまま人類が初勝利を挙げるのか!?」と思わせておいて最後に逆転されるなど、手に汗握る展開が続きます。第3回戦の佐々木小次郎vsポセイドンでは、絶対的な強者であるポセイドンに対し、生涯敗北し続けた「人類最強の敗者(ルーザー)」である小次郎が勝利を収め、多くの視聴者を感動させました。

どんなに人類側が追い詰められても、神側がどれほど優位に立っても、最後まで勝敗が分からない緊張感は本作最大の魅力の一つです。各戦いが互いの信念と誇りをかけた真剣勝負であり、どちらが勝っても納得できるドラマが展開されています。この予測不能性が、視聴者を画面に釘付けにする力となっているのです。

キャラクターの過去や生き様に感動する

終末のワルキューレでは、各キャラクターの過去が丁寧に描かれており、その生き様に心を打たれる視聴者が多くいます。テンポが悪いと批判される回想シーンですが、一方でキャラクターの深みを増す重要な要素でもあるのです。

呂布奉先は孤高の武人として生き、誰にも理解されない孤独を抱えていました。アダムは神に反逆してでも家族を守ろうとする父親としての強さを見せます。佐々木小次郎は生涯敗北し続けながらも、決して諦めず剣を磨き続けた努力の人です。雷電為右衛門は生まれ持った強すぎる力ゆえに、生前は全力を出すことが許されなかった悲しみを抱えています。

これらの過去エピソードは、単なるバトル漫画を超えて、人間(および神々)の生き様を描いた人間ドラマとしての側面を作品に与えています。敗者となったキャラクターにも美学があり、その最期には敬意が払われる――この姿勢が、視聴者の感情を揺さぶり、涙を誘うのです。

回想シーンが長すぎるという批判はありますが、だからこそキャラクターへの感情移入が深まり、戦いの結末に一喜一憂できるという側面もあります。各キャラクターの人生に思いを馳せながら戦いを見守る体験は、本作ならではの魅力と言えるでしょう。

敗者にも美学があるストーリー構成

終末のワルキューレの特筆すべき点は、勝者だけでなく敗者にもスポットライトを当て、その生き様を称える姿勢です。多くのバトル作品では、敗者は単に「負けた者」として扱われがちですが、本作では敗れた者にも敬意が払われ、その戦いぶりが讃えられます。

呂布奉先は敗北しましたが、最後まで孤高の戦士として戦い抜きました。アダムもゼウスに敗れはしましたが、「子供たちを守る父親」としての信念を貫き通し、人類側の応援席からは賞賛の声が上がります。ヘラクレスは神でありながら人類を愛し、その思いを貫いて散っていきました。

敗北=悪、勝利=正義という単純な構図ではなく、それぞれの戦士が自分の信念に従って全力で戦い、たとえ敗れても その生き様は美しい――こうしたメッセージ性が、本作に深みを与えています。

特に印象的なのが、敗者が消滅する際の描写です。ラグナロクでは敗者は完全に消滅し、転生も救済もありません。それでも戦士たちは自分の信じる道を進み、最後まで誇りを捨てません。この「散り際の美学」が、日本人の心に深く響くのでしょう。勝敗を超えた人間賛歌が、本作の根底に流れているのです。

人間が持つ感情や努力に共感できる

神々は圧倒的な力を持つ存在ですが、人類代表は生身の人間です。彼らが神に立ち向かう姿には、人間だからこそ持つ感情――憎悪、愛、努力、諦めない心――が詰まっています。この「人間らしさ」こそが、多くの読者・視聴者の共感を呼んでいます。

佐々木小次郎は一度も勝利したことがない剣士でしたが、敗北のたびに相手の技を学び、自分のものにしていきました。その努力の積み重ねが、ついに神を倒すという奇跡を生み出します。雷電為右衛門は、力を抑えることを強いられた人生から解放され、初めて全力で戦う喜びを知ります。

人類代表たちは完璧な英雄ではなく、悩み、苦しみ、それでも前に進む存在として描かれています。神々のような超越的な力は持たないけれど、人間には人間なりの強さがある――このメッセージが、読者の心に深く刺さるのです。

また、戦いを通じて人類と神々が互いに敬意を抱くようになる展開も印象的です。当初は人類を見下していた神々も、その戦いぶりを見て認めるようになり、敵味方を超えた絆が生まれることもあります。こうした感情の動きが、単なる力のぶつけ合いを超えた物語の深みを生み出しています。

終末のワルキューレはこんな人におすすめ

終末のワルキューレには確かに批判すべき点もありますが、ハマる人には強烈にハマる作品でもあります。ここでは、どのような人にこの作品がおすすめなのか、具体的に解説していきます。自分の好みに合いそうか、ぜひチェックしてみてください。

神話や歴史上の人物が好きな人

終末のワルキューレは、神話や歴史に興味がある人にとって宝の山のような作品です。北欧神話のトールやオーディン、ギリシャ神話のゼウスやポセイドン、インド神話のシヴァや釈迦など、世界中の神話から選りすぐりの神々が登場します。

人類側も、佐々木小次郎、呂布奉先、ジャック・ザ・リッパー、始皇帝など、歴史や伝承に名を刻む人物ばかりです。それぞれのキャラクターは、神話や史実をベースにしつつ本作独自の解釈が加えられており、「こんな一面があったのか!」という新鮮な驚きがあります。

史実や原典と異なる部分も多いため、神話・歴史マニアからは賛否両論ありますが、「もし神話の神々が本当に存在して戦ったら」という壮大なIF世界を楽しめる人には最高のエンターテインメントとなるでしょう。各キャラクターの元ネタを調べながら読み進めるのも一興です。神話や歴史の入門編として、この作品をきっかけに興味を持つ人も少なくありません。

熱いバトルと感動的なドラマが好きな人

終末のワルキューレの戦闘シーンは、命を懸けた真剣勝負です。ただ強さを競うだけでなく、それぞれのキャラクターが背負ってきた人生、守りたいもの、貫きたい信念がぶつかり合います。

アダムがなぜ神に反逆するのか、佐々木小次郎がなぜ敗北し続けても剣を捨てなかったのか――そうした背景を知った上で見る戦いは、単なる暴力の応酬ではなく、魂のぶつかり合いとして心に響きます。北斗の拳や聖闘士星矢のような熱い王道バトルが好きな人、敵味方問わずキャラクターの信念に感動したい人には、本作の戦いは胸を熱くさせるでしょう。

また、戦闘だけでなく、人類と神々、仲間同士の絆も丁寧に描かれています。ワルキューレと人類代表が一蓮託生の関係で共に戦う姿、敗北した戦士を仲間が称える場面など、泣けるシーンも多数あります。熱血バトルと人間ドラマの両方を求める人にはピッタリの作品です。

予測不能な展開を楽しめる人

終末のワルキューレでは、「この流れなら人類が勝つだろう」と思っても神側が逆転したり、「もう神の勝利は確定」と思わせておいて人類が起死回生の一撃を放ったりと、予想を裏切る展開が続きます。この予測不能性を楽しめる人にはたまらない作品です。

また、どのキャラクターが次に登場するのか、どんな戦い方をするのかも毎回サプライズがあります。まさかこんな人物が人類代表に選ばれるとは、という驚きも楽しみの一つです。先の展開が読めないドキドキ感を味わいたい人、意表を突かれる快感が好きな人には、本作の構成は非常に魅力的に映るでしょう。

ただし、逆に言えば安定した予定調和の展開を好む人、主人公の成長を長期的に見守りたい人には、オムニバス形式の本作は物足りなく感じるかもしれません。毎回新しいキャラクターが主役になる形式を楽しめるかどうかが、作品との相性を左右するポイントです。どちらかと言えば、毎回違う主人公が活躍する「世にも奇妙な物語」や「まんが日本昔ばなし」のような作品が好きな人に向いています。

終末のワルキューレを見る・読む方法

終末のワルキューレに興味を持ったら、次は実際にどこで視聴・購読できるのかが気になるところです。アニメ版と原作漫画、それぞれのアクセス方法と、どちらから入るのがおすすめかを詳しく解説します。自分に合った方法で作品世界に飛び込んでみましょう。

アニメ1期・2期・3期すべてNetflixで視聴可能

終末のワルキューレのアニメは、すべてNetflixで独占配信されています。第1期(全12話)、第2期前編・後編、そして第3期まで視聴可能です。Netflixは月額790円から利用でき、広告つきベーシック、ベーシック、スタンダード、プレミアムの4つのプランから選べます。

Netflixでの視聴の大きなメリットは、全エピソードが見放題であることです。追加料金なしで、第1期から最新の第3期まで一気に視聴できます。また、字幕や吹替の切り替えも自由で、英語学習などにも活用できます。

ただし、Netflixには無料トライアル期間がないため、登録した時点から料金が発生します。しかし、auやUQモバイルのユーザーであれば1ヵ月無料体験が可能な場合もあるため、該当する方はチェックしてみる価値があります。また、docomoの「爆上げセレクション」など、キャリアのキャンペーンを利用することで実質的に安く視聴できるケースもあります。

Netflix以外では、AmazonプライムビデオやHulu、TELASAなどでもレンタル配信されていますが、1話ごとに250円程度かかるため、全話視聴するならNetflixの見放題プランの方が圧倒的にお得です。アニメを確実に視聴したいなら、Netflix一択と言って良いでしょう。

原作漫画を読むなら電子書籍サービス

終末のワルキューレの原作漫画を読む方法は、紙の単行本を購入するか、電子書籍サービスを利用するかの二択です。電子書籍であれば、場所を取らず、いつでもスマホやタブレットで読めるメリットがあります。

主要な電子書籍サービスとしては、以下のようなものがあります。

  • Amebaマンガ: 新規登録で100冊40%OFFクーポンがもらえるため、まとめ買いに最適です。終末のワルキューレをお得に全巻揃えたい人におすすめ。
  • まんが王国: ポイント還元率が高く、毎日のログインでポイントが貯まります。じっくり読み進めたい人向け。
  • Kindle(Amazon): Amazonプライム会員なら一部無料で読める場合があります。すでにプライム会員の人には便利。
  • 楽天Kobo: 楽天ポイントが貯まる・使えるため、楽天経済圏のユーザーにお得です。

原作漫画は2024年時点で20巻以上刊行されており、アニメでは描かれていない戦いも多数収録されています。アニメの続きが気になる人、より詳細なストーリーを楽しみたい人は、ぜひ原作に手を伸ばしてみてください。電子書籍なら試し読みができるサービスも多いため、まずは1巻だけ読んでみるのも良いでしょう。

アニメより原作漫画から入るのがおすすめ

終末のワルキューレを初めて触れるなら、正直なところ原作漫画から入ることを強くおすすめします。その理由は、アニメ1期の作画クオリティの問題と、テンポの悪さにあります。

アニメ版は作画が「紙芝居のよう」と批判されており、本作最大の魅力である迫力ある戦闘シーンが十分に表現されていません。一方、原作漫画はアジチカ先生による緻密で迫力ある作画が魅力で、キャラクターの表情や技の動きが生き生きと描かれています。静止画でありながら、漫画の方が戦闘の躍動感を感じられるという逆転現象が起きているのです。

また、アニメでは回想シーンの挿入タイミングや長さがテンポを悪くしていますが、漫画であれば自分のペースで読み進められるため、さほど気になりません。回想部分を飛ばし読みすることも、じっくり味わうこともできる柔軟性があります。

ただし、アニメにも良い点はあります。豪華声優陣による演技は素晴らしく、特に戦闘シーンでの掛け声や必殺技の叫びは臨場感があります。マキシマム ザ ホルモンによる主題歌も作品の雰囲気にピッタリです。

おすすめの楽しみ方は、まず原作漫画で物語の面白さを理解し、その後でアニメの声優演技や音楽を楽しむという順番です。原作で作品を好きになってからアニメを見れば、作画の粗も許容できるようになり、声優さんの熱演に感動できるでしょう。アニメから入って「ひどい」と感じて離脱してしまうのは、非常にもったいないことです。まずは原作漫画の1巻を読んで、作品の本当の魅力を味わってみてください。

終末のワルキューレに関するよくある質問

終末のワルキューレについて、多くの人が抱く疑問に答えていきます。これから作品に触れる人、すでに視聴している人、どちらにも役立つ情報をまとめました。

終末のワルキューレは本当にひどい作品なのですか?

「ひどい」という評価は、主にアニメ1期の作画クオリティとテンポの悪さに向けられたものです。確かにアニメ版には問題点がありますが、作品そのものの価値を否定するものではありません。

原作漫画は累計1,800万部を突破し、数々の漫画賞にランクインするなど、業界からも読者からも高く評価されています。「このマンガがすごい!2019」オトコ編や「全国書店員が選んだおすすめコミック2019」などに選ばれた実績がその証明です。

アニメの作画に失望した人でも、原作漫画を読めば「こんなに面白かったのか!」と感動するケースが多々あります。また、アニメ第2期以降は第1期よりも作画が改善されているとの評価もあり、徐々にクオリティアップしています。

「ひどい」という一言で片付けるには惜しい作品です。神話と歴史のクロスオーバー、予測不能な戦いの展開、キャラクターの生き様に感動できる要素など、多くの魅力を持っています。作品との相性はありますが、少なくとも原作漫画の第1巻だけは読んでから判断することをおすすめします。

終末のワルキューレの完結はいつ頃ですか?

終末のワルキューレの完結時期は、現時点では明言されていません。全13番勝負という設定ですが、2024年12月時点で原作漫画では第7〜8回戦あたりまで進行しており、まだ半分強といったところです。

月刊連載であることを考えると、残り5〜6試合を描くには相当な時間がかかります。1試合あたり10話前後のペースで描かれているため、単純計算でも完結まで数年は要するでしょう。早くても2026〜2027年頃、場合によってはそれ以降になる可能性もあります。

ただし、終末のワルキューレは各戦いが独立したエピソードになっているため、完結を待たずとも十分楽しめる構造です。むしろ、長く連載が続くことで、より多くの神話や歴史上の人物が登場する機会が増え、ファンとしては嬉しい限りです。

完結を急がず、じっくりと各戦いを堪能しながら、物語の行方を見守りましょう。最終的に人類と神々、どちらが7勝を先に挙げるのか――その結末を見届ける日が楽しみです。

終末のワルキューレがひどいと言われる理由まとめ

終末のワルキューレが「ひどい」と言われる理由は、主にアニメ1期の作画クオリティの低さ、戦闘シーンのテンポの悪さ、そして設定の粗にあります。紙芝居のような静止画の連続、1試合に4〜5話もかける冗長な構成、神と人間の力関係の曖昧さ、史実や神話との乖離、過度なグロ描写、神々の軽い言葉遣いなど、批判すべき点は確かに存在します。

しかし同時に、本作には他の作品にはない唯一無二の魅力もあります。神話と歴史の英雄が本気でぶつかり合うという壮大なコンセプト、最後まで読めない予測不能な展開、キャラクターの過去や生き様に感動できるドラマ性、敗者にも美学があるストーリー構成、人間が持つ感情や努力への共感――これらの要素が、累計1,800万部突破という数字に表れています。

「ひどい」という評価は、作品の一面を切り取ったものに過ぎません。確かにアニメ化には失敗した側面がありますが、原作漫画の面白さは本物です。神話や歴史が好きな人、熱いバトルと感動的なドラマを求める人、予測不能な展開を楽しめる人には、ぜひ一度原作を手に取ってほしい作品です。

批判と称賛、両方の意見があるからこそ、作品は多様な視点で語られます。先入観を持たず、自分の目で確かめてみることをおすすめします。「ひどい」という噂に惑わされず、神々と人類の壮絶な戦いを、ぜひその目で見届けてください。最終的にどちらが勝利するのか、その結末を一緒に楽しみましょう。

アニメから入るなら作画が改善された第2期以降から、じっくり楽しみたいなら原作漫画から――あなたに合った方法で、終末のワルキューレの世界に飛び込んでみてはいかがでしょうか。

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