刑事ドラマ「警視庁・捜査一課長」シリーズや「科捜研の女」など、数々の人気作品で存在感を放つ内藤剛志さん。長年にわたってドラマファンを魅了し続ける彼の私生活には、40年以上続く円満な結婚生活という素敵な秘密があります。内藤さんの妻は、実は帽子デザイナーとして活躍する永井みどりさん。そして娘さんはあのスタジオジブリでクリエイターとして働いているという、まさに「ものづくり一家」なのです。
18歳で運命的な出会いを果たし、7年間の同棲を経て結婚。夫婦別姓を選択し、お互いの仕事を尊重しながら東京・横浜・京都を行き来する自由な二拠点生活を送る内藤夫妻の関係性は、現代的でありながらも深い絆で結ばれています。今回は、内藤剛志さんの妻・永井みどりさんの魅力と、40年以上続く結婚生活の秘訣、そしてジブリで夢を叶えた娘さんとの温かい家族エピソードまで、たっぷりとご紹介します。
内藤剛志の妻・永井みどりは帽子デザイナーとして活躍
内藤剛志さんの妻として知られる永井みどりさんは、芸能界に属さず、独自の道を歩む帽子デザイナーです。結婚後も旧姓で活動を続け、東急百貨店などの大型百貨店でも作品が取り扱われるほどの実力を持つクリエイターとして、多くのファンから支持を得ています。永井さんの帽子は、華やかでありながら日常使いもできる絶妙なバランスが魅力で、全国各地で展示会を開催するなど精力的に活動しています。
1956年生まれ横浜出身の妻のプロフィール
永井みどりさんは1956年5月27日生まれで、内藤剛志さんと同い年です。厳密には早生まれのため学年は同じということになります。神奈川県横浜市の出身で、学生時代から芸術や創作への関心が高かったといわれています。
上品でありながら気さくな人柄が特徴的で、展示会では来場者に「すべての帽子を自由に試してみてくださいね」と笑顔で声をかける姿が印象的だといいます。実際に永井さんの展示会を訪れた人々からは「とても気さくで温かい方」「帽子への情熱が伝わってくる」という声が多く聞かれます。
結婚後も旧姓「永井」を名乗り続け、デザイナーとしてのキャリアを大切にしてきた永井さん。自宅のポストには「内藤」と「永井」の二つの名字が並んでいるそうで、これは夫婦それぞれが独立したプロフェッショナルとして活動している証でもあります。内藤さんは妻のことを「人生の同志」のような存在と表現しており、お互いを深く尊重し合う関係性が伺えます。
結婚後も旧姓で活動する帽子デザイナー
永井みどりさんが帽子デザイナーになったのは、実は結婚後のことです。どのようなきっかけで帽子デザインの道に進んだのかは明らかにされていませんが、芸術的センスと職人としてのこだわりを持って、独自のスタイルを確立してきました。
永井さんの帽子の特徴は、個性的で華やかなデザインと、和洋を問わず調和するスタイルにあります。カラーバランスや素材使いが洗練されており、ファッション感度の高い女性たちから高い評価を得ています。特に葉のモチーフがあしらわれたデザインや、ブラックと紺のツートーンカラーの帽子などが人気で、カジュアルなTシャツスタイルから上品な装いまで、幅広いコーディネートに合わせることができます。
展示会は小規模なギャラリーから東急百貨店などの大型百貨店まで、全国各地で開催されています。SNSでは、展示会を訪れた人々が「帽子に宿るオーラに圧倒された」「デザインにワクワクした」という感想を投稿しており、その芸術性とファッション性の高さが評価されています。また、メルカリなどのフリマアプリでも作品が販売されており、展示会に足を運べないファンにも親しまれています。
永井さんの活動は、夫である内藤剛志さんが俳優として多忙を極める中でも、決して影に隠れることなく、自分自身のクリエイティブな道を歩み続けている姿勢を示しています。夫婦別姓を選択したことも、お互いの仕事とアイデンティティを尊重し合う現代的な夫婦のあり方を象徴しているといえるでしょう。
妻との運命的な出会いと馴れ初め

内藤剛志さんと永井みどりさんの出会いは、まるでドラマのような運命的なものでした。18歳という若さで一目惚れし、7年間という長い交際期間を経て結婚に至った二人の馴れ初めには、純粋な恋心と互いへの深い理解が感じられます。大阪から上京したばかりの内藤さんが、予備校で見かけた「とてもかわいい女の子」に心を奪われたことが、すべての始まりでした。
代々木ゼミナールで一目惚れした18歳の出会い
内藤剛志さんは高校卒業後、大学進学を目指して地元・大阪から上京し、有名な予備校「代々木ゼミナール」に通っていました。1970年代後半のことです。サックス奏者を目指して上京した内藤さんでしたが、音楽の道を諦め、浪人生として予備校に通う日々を送っていました。
運命の出会いは、予備校の夏の強化合宿で訪れました。内藤さんは合宿に参加した際、とてもかわいい女子二人を見かけます。そのうちの一人に強く惹かれた内藤さんは、「どっちか行ったれ」と心の中で決意したといいます。ただし、勉強は全然ついていけなかったそうで、予備校から足が遠のいてしまっていました。
そんなある日、偶然が二人を再び引き合わせます。内藤さんが駅を歩いていたところ、あの夏の合宿で見かけた女の子と偶然再会したのです。これはチャンスだと思った内藤さんは、勇気を出して「お茶でもどう?」と声をかけました。そしてジャズ喫茶に誘ったことをきっかけに、二人は仲良くなっていきました。この「とてもかわいい女の子」こそが、現在の妻・永井みどりさんだったのです。
7年間の同棲を経て27歳で結婚
予備校での出会いから交際に発展した二人は、なんと7年間という長い期間同棲生活を送りました。この7年間は、お互いをよく知り、理解を深める大切な時間だったといえます。内藤さんは当時から役者を志しており、永井さんは帽子デザイナーを目指していました。芸術分野で生きていきたいという価値観が共鳴し、二人の絆はより強固なものになっていったのでしょう。
同棲期間中には、お互い別の人と付き合っていた時期もあったそうです。しかし、最終的には互いが最良のパートナーであることを確認し合い、1982年、二人が27歳の時に正式に結婚しました。翌年の1983年8月24日には第一子となる長女が誕生し、内藤家は三人家族となります。
7年間という長い交際・同棲期間を経て結婚したことで、二人は互いの長所も短所も理解した上で夫婦となることができました。この深い相互理解が、その後40年以上続く円満な結婚生活の基盤となったのです。若い頃の純粋な恋心と、時間をかけて築いた信頼関係。この二つが融合した内藤夫妻の関係は、多くの人にとって理想的な夫婦像といえるでしょう。
40年以上続く円満な結婚生活の秘訣

1982年に結婚して以来、40年以上にわたって良好な夫婦関係を維持している内藤剛志さんと永井みどりさん。その秘訣は、お互いを独立した個人として尊重し、適度な距離感を保ちながらも深い絆で結ばれているという点にあります。二人の関係性は、現代の夫婦のあり方を示す素晴らしいモデルケースといえるでしょう。
夫婦別姓を選んだ理由と互いの尊重
内藤夫妻の最大の特徴は、夫婦別姓を選択していることです。永井みどりさんは結婚後も旧姓「永井」を使い続け、帽子デザイナーとしての活動を続けています。内藤さんは「妻はずっと旧姓で仕事をしていますから、ポストにはふたつの名字が書いてあります」と明かしています。
この選択は、永井さんが帽子デザイナーとして独立した活動を続けているためであり、二人がお互いを独立したプロフェッショナルとして認め合っている証です。内藤さんは妻のことを「人生の同志」のような存在と表現しており、夫と妻、父親と母親という立場を受け入れながらも、一人ひとりを個の人間として尊重していることがわかります。
内藤家には独特の家族ルールがあり、家族を下の名前で呼ぶという習慣があるそうです。また、家事も公平になるように分担しているといいます。こうした取り組みは、家族内での平等性と個人の尊重を大切にする内藤夫妻の価値観を反映しています。
お互いの仕事を大切にする価値観
内藤さんと永井さんは、結婚後もずっと夫婦共働きで娘を育ててきました。内藤さんが俳優として多忙を極める一方、永井さんも帽子デザイナーとして全国各地で展示会を開催するなど、それぞれが自分の仕事に情熱を注いでいます。
内藤さんは「家族仲はよいですが、昔から互いの生き方を尊重しますし、干渉するようなことはないですね」と語っています。娘さんも独立して一人暮らしをしており、それぞれが自立した関係性を築いているといいます。
また、内藤さんは家族について「家族はチームだから助け合うのは当たり前」という考え方を持っています。これは娘さんも同じ考えを共有しており、「世界全部が敵でもお前だけは俺の味方だぞ。逆もそうですね、お前にとって俺は味方やぞと」という強い絆で結ばれています。互いに干渉しないけれども、いざという時には必ず助け合う。この絶妙なバランスが、内藤家の円満な家族関係の秘訣なのです。
内藤さんと永井さんは、「ふたりは僕が俳優をしていることで、特別扱いされるようなことも、すごく嫌います」という共通の価値観も持っています。人気店で並んでいる人たちがいるのに先に通されるようなことを、家族全員がとても嫌がるそうです。こうした「ごく普通の感覚」を大切にする姿勢も、長く良好な関係を保つ要因となっています。
東京・横浜・京都を行き来する自由な二拠点生活
内藤夫妻のもう一つのユニークな点は、東京・横浜・京都に家を所有し、妻と一緒に行き来する多拠点生活を送っていることです。内藤さんは「そのとき住んでいる家が本宅というか。ええ、妻と一緒に移動します」と語っています。
この生活スタイルは、内藤さんの「昔から漂流したいというか、ノマドじゃないですが、心身共に自由でいたい願望が強い人間なんです」という価値観から生まれたものです。旅も好きで、休みが3日もあればすぐどこかに行ってしまうという内藤さん。この自由な生き方を、永井さんも理解し、一緒に実践しているのです。
近年では、内藤さんは「京都に定住して老後を過ごしたいという気持ちが生まれまして、住民票を東京から移しました」と明かしています。大阪で生まれ育った内藤さんにとって、京都は身近でとても好きな街なのだそうです。この柔軟な生活スタイルは、仕事の都合に合わせながらも、二人が望む暮らし方を実現している現代的な夫婦のあり方といえるでしょう。
2025年に70歳を迎えた内藤さんは「肉が大好きで、ステーキ400gもペロリと食べる」と語るほど健康で、まだまだ現役続行の意欲を見せています。永井さんと共に築いてきた自由で尊重し合う関係が、内藤さんの活力の源になっているのかもしれません。
娘はスタジオジブリで活躍
内藤剛志さんと永井みどりさんの間には、1983年8月24日に誕生した娘さんが一人います。この娘さんは、なんとあの世界的に有名なスタジオジブリでクリエイターとして活躍しているのです。俳優の父と帽子デザイナーの母という「ものづくり一家」で育った娘さんは、両親譲りのクリエイティブな才能を開花させ、幼い頃からの夢を見事に実現させました。
1983年生まれの娘が叶えたジブリアニメーターの夢
内藤さんの娘さんは東京都出身で、幼い頃からジブリアニメに親しんで育ちました。そして中学生の頃、父親に「ジブリに入りたい」と夢を打ち明けたそうです。内藤さんは当初「何いうてんねん」と驚いたものの、娘さんの本気度を感じ取ったといいます。
娘さんは夢の実現に向けて着実に準備を進めました。高校時代になると「ちゃんと描けなきゃやだ」という強い意志を持ち、フリーハンドで描けるようになるために美術塾に通いたいと父親に申し出ました。「どういう仕事をするにしても、フリーハンドで描きたいから美大に行きたい」という娘さんの明確な目標に、内藤さんは「おお、わかった。行け」と応援したそうです。
内藤さんは娘さんについて「彼女には想いというか、夢があったんです。それを僕にいうから『やれ』と」と語っています。親として娘の夢を全力で応援する姿勢が、娘さんの夢の実現を後押ししたのでしょう。そして努力の末、娘さんは見事にスタジオジブリへの入社を果たしました。
内藤さんは娘さんとの関係について、「適度な距離感で接してくれるところです。『あれをしろ、これをしろ』といわれることも少なく、私がいいようにさせてくれるのでとてもありがたいです」という娘さんの言葉を紹介しています。おかげで、いわゆる「反抗期」もなかったそうです。この適度な距離感が、娘さんの自主性を育て、夢の実現につながったといえるでしょう。
美術大学でグラフィックデザインを学んだ経歴
内藤さんの娘さんは、美術大学でグラフィックデザインを学びました。美術塾で基礎を固め、美大進学を経て、専門的な技術と表現力を身につけていったのです。
美大出身という経歴は、ジブリでの仕事にも大いに役立っているはずです。三鷹の森ジブリ美術館の日誌にも「美大出身の内藤さん」という記述が見られることから、娘さんの学歴と実力が認められていることがわかります。
娘さんがスタジオジブリに入社したのは、美大卒業後すぐのことと推測されます。2006年に公開された「ゲド戦記」が、娘さんが関わった最初のジブリ作品だったようです。以降、娘さんは様々なジブリ作品に携わり、キャリアを積んでいきました。主な担当業務は以下の通りです。
- ゲド戦記(2006年):制作業務
- 崖の上のポニョ(2008年):プロデューサー室
- かぐや姫の物語(2013年):広報
- 思い出のマーニー(2014年):広報
- 君たちはどう生きるか(2023年):ジブリパーク事業部
アニメーターとしてだけでなく、プロデューサー室や広報、ジブリパーク事業部など、多様な部署で経験を積んでいることがわかります。ジブリという組織の中で、幅広い視点を持ちながら成長してきた様子が伺えます。
映画「ゲド戦記」で父娘共演を果たしたエピソード
内藤剛志さんの娘さんがスタジオジブリに入社して間もない頃、感動的な「父娘共演」が実現しました。2006年に公開された宮崎吾朗監督のデビュー作「ゲド戦記」です。
内藤さんはこの作品で「ハジア売り」という役の声優を務めました。一方、娘さんは制作スタッフとして作品に参加していたのです。内藤さんはテレビ番組「徹子の部屋」や「笑っていいとも!」などで、「エンドロールで娘と共演できた」ことがとても嬉しかったと語っています。
声優として、そして制作スタッフとして、同じ作品に親子で関わるという経験は、内藤さんにとっても娘さんにとっても特別な思い出となったことでしょう。エンドロールに父と娘の名前が並ぶ瞬間は、「ものづくり一家」の絆を象徴する素敵なシーンだったに違いありません。
内藤さんは娘さんとの関係について、「家族はチーム」という考え方を持っています。「チームだから助けるんですよ。絶対助ける」「世界全部敵でもお前だけは俺の味方だぞ」という強い絆で結ばれた親子関係。この信頼関係が、娘さんが夢に向かって努力し続ける原動力になったのでしょう。
また、内藤さんは娘さんから誕生日にパーカーをプレゼントされることがあり、それを愛用しているそうです。和歌山で作られた特別なパーカーで、1時間で1メートルしか編めない貴重な生地で作られているとか。傷んできたなと思うと、また新しい物が娘さんから届くそうで、娘さんの父親への愛情と気遣いが感じられるエピソードです。
内藤剛志の妻に関するよくある質問

内藤剛志さんの妻や家族について、ファンの間ではいくつかの疑問や噂があるようです。ここでは、よくある質問について事実に基づいて回答していきます。
内藤剛志は再婚したの?
「内藤剛志が帽子デザイナーと再婚した」という噂がインターネット上で見られることがありますが、これは誤った情報です。内藤さんの結婚歴は一度のみで、1982年に永井みどりさんと結婚して以来、40年以上にわたって同じ相手と夫婦生活を続けています。
この誤解が生まれた理由は、おそらく内藤さんが妻の職業や名前について公の場であまり詳しく語ってこなかったため、「帽子デザイナーの妻」という情報だけが独り歩きし、「新しく帽子デザイナーと結婚した」と誤解された可能性があります。しかし実際には、内藤さんは18歳で出会った永井みどりさんと一度だけ結婚し、今日まで良好な関係を維持している円満夫婦なのです。
妻・永井みどりの顔写真は公開されている?
永井みどりさんの顔写真は、インターネット上でほとんど公開されていません。これは永井さんが意図的にプライベートを守る姿勢を貫いているためと考えられます。
永井さんは芸能人ではなく、帽子デザイナーとして活動している一般人です。仕事においてもあくまで作品が主役であり、自身の顔を表に出す必要がないというスタンスを取っていると見られます。展示会の告知などでも、本人の顔写真は掲載されず、紹介されるのはあくまで帽子や作品の写真にとどまっています。
内藤さん自身も、家族のプライバシーを大切にする姿勢を持っており、妻や娘の名前や顔写真を積極的に公開することは避けてきました。この姿勢は芸能界の中でも評価されており、家族を守りながら俳優としての仕事を続ける内藤さんのプロフェッショナリズムの表れといえるでしょう。
娘は芸能界で活動しているの?
内藤剛志さんの娘さんは、芸能界では活動していません。娘さんはスタジオジブリでクリエイターとして働いており、アニメーション業界で活躍しています。
娘さんの名前や顔写真なども非公開となっており、父親と同じく一般人としてプライバシーが守られています。ただし、「ゲド戦記」で内藤さんが声優を務めた際にエンドロールで父娘共演を果たしたことや、スタジオジブリでの仕事ぶりについては、内藤さん自身がテレビ番組などで誇らしげに語っています。
娘さんは幼い頃からの夢だったジブリ入社を果たし、制作業務、プロデューサー室、広報、ジブリパーク事業部など、様々な部署で経験を積んできました。芸能界ではなくアニメーション業界という別の「ものづくり」の世界で、自分の道を切り開いているのです。
内藤剛志と妻の夫婦仲は今も良好?
内藤剛志さんと永井みどりさんの夫婦仲は、現在も非常に良好です。結婚から40年以上が経過した今でも、二人は東京・横浜・京都を一緒に行き来する生活を送っており、「妻と一緒に移動します」と内藤さん自身が明言しています。
内藤さんは妻について「人生の同志」のような存在と表現しており、お互いを深く尊重し合う関係が続いています。また、2023年の記者会見では、新婚ホヤホヤの共演者に対して結婚生活のアドバイスを求められた際にも、長年の夫婦生活で培った知恵を分かち合う姿が見られました。
「家族仲はよいですが、昔から互いの生き方を尊重しますし、干渉するようなことはないですね」という内藤さんの言葉通り、適度な距離感を保ちながらも、いざという時には必ず助け合う強い絆で結ばれています。2025年に70歳を迎えた内藤さんが今も元気に俳優業を続けられているのは、永井さんとの安定した関係があってこそといえるでしょう。
内藤剛志の妻と家族の魅力まとめ

内藤剛志さんの妻・永井みどりさんは、帽子デザイナーとして独自のキャリアを築く魅力的な女性です。1956年生まれで横浜出身の永井さんは、結婚後も旧姓で活動を続け、東急百貨店などでも作品が取り扱われる実力派デザイナーとして活躍しています。
二人の馴れ初めは、18歳の時に代々木ゼミナールで内藤さんが一目惚れしたことから始まりました。7年間の同棲を経て27歳で結婚し、翌年には娘さんが誕生。以来40年以上にわたって円満な夫婦関係を維持しています。その秘訣は、夫婦別姓を選択しお互いの仕事を尊重すること、そして東京・横浜・京都を行き来する自由な二拠点生活にあります。
娘さんはスタジオジブリでクリエイターとして活躍しており、中学時代からの夢を実現させました。美術大学でグラフィックデザインを学び、「ゲド戦記」で父娘共演も果たしています。俳優、帽子デザイナー、ジブリスタッフという「ものづくり一家」として、それぞれが自分の道で輝く内藤家。互いの生き方を尊重し、「家族はチーム」という強い絆で結ばれた彼らの姿は、多くの人にとって理想的な家族像といえるでしょう。
今後も内藤剛志さんのドラマでの活躍とともに、永井みどりさんの帽子デザイナーとしての活動、そして娘さんのジブリでの仕事にも注目していきたいですね。
ゼンシーア
