鯉登少尉は死亡する?最終決戦の結末を徹底解説【ゴールデンカムイ】

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『ゴールデンカムイ』に登場する鯉登音之進少尉は、薩摩出身のエリート軍人として多くのファンに愛されているキャラクターです。しかし物語が五稜郭での最終決戦へと進むにつれて、「鯉登少尉は死亡するのではないか」という不安が読者の間で広がりました。聯隊旗手任命という最大の死亡フラグ、父・鯉登平二少将の戦死、そして新選組の鬼の副長・土方歳三との一騎打ち。数々の死の危機を前に、鯉登少尉は本当に生き残ることができたのでしょうか?本記事では、鯉登少尉の生死に関する結論から、彼の過去、鶴見中尉との運命的な出会い、そして最終決戦での活躍まで徹底解説します。アニメ最終章の放送を控えた今、鯉登少尉の物語を振り返りましょう。

鯉登少尉は死亡する?

『ゴールデンカムイ』のファンの間で、鯉登少尉の生死は大きな話題となっていました。数々の死亡フラグが立ち、五稜郭での最終決戦では土方歳三との一騎打ちという絶体絶命の状況に陥った鯉登少尉。彼は本当に死亡してしまうのでしょうか?結論から申し上げると、鯉登少尉は最後まで生き残り、その後も輝かしいキャリアを歩むことになります。

鯉登少尉は死亡せず最後まで生き残る

多くの主要キャラクターが命を落とす壮絶な物語の中で、鯉登少尉は奇跡的に生存を果たしました。五稜郭での激戦、土方歳三との死闘、そして鶴見中尉の野望の渦中にあっても、彼は持ち前の自顕流の剣技と強運によって幾度となく訪れた死の危機を乗り越えていきます。特に土方との戦いでは左頬に深い刀傷を負いながらも勝利を掴み、最終的には月島軍曹とともに戦場を生き抜きました。鯉登少尉の生存は、彼の成長と強さを象徴する結末となったのです。

原作最終話で明かされたその後の人生

原作最終話となる314話では、鯉登少尉のその後の人生が描かれています。鶴見中尉の死後、反乱分子として裁かれる可能性のある第七師団の部下たちを守るため、鯉登少尉は中央と戦い続ける決意を固めました。鶴見中尉を失い生きる目的を見失った月島軍曹を、鯉登少尉は「自分についてくるよう」と力強く導いていきます。この姿は、物語序盤の未熟な青年将校からは想像もできないほどの成長を遂げた彼の姿でした。作者の野田サトル先生も、鯉登少尉を「作中最も人間的に成長したキャラクター」と評しています。

第七師団最後の師団長として中将に昇進

最終話では、鯉登少尉が後に中将まで昇進し、「第七師団最後の師団長」となったことが明かされています。この時、鯉登少尉は月島軍曹を右腕としてヘッドハンティングし、二人は再び上官と部下として、そして何よりも信頼し合う戦友として共に歩むことを選びました。興味深いことに、実在の日本帝国陸軍第七師団で最後の師団長を務めた人物も「鯉登」という姓を持つ鯉登行一中将でした。彼は1972年頃まで存命しており、作品のモデルとなった可能性が高いと考えられています。鯉登少尉の輝かしい軍歴は、実在の人物と虚構のキャラクターが重なり合う、歴史とフィクションの美しい交差点を形成しているのです。

鯉登少尉とは?

鯉登音之進(こいと おとのしん)は、『ゴールデンカムイ』に登場する大日本帝国陸軍北海道第七師団歩兵第27聯隊所属の少尉です。1886年12月23日生まれの推定21歳で、海軍少将(後に中将)の鯉登平二を父に持つ軍人の血筋。士官学校を卒業したエリート将校として登場した彼は、直角に曲がった独特の眉毛と浅黒い肌、そして何よりも鶴見中尉への異常なまでの忠誠心が特徴的なキャラクターです。登場当初は世間知らずで我儘なお坊ちゃん軍人として周囲を振り回していましたが、物語が進むにつれて劇的な成長を遂げ、作中で最も人間的に成長したキャラクターの一人として多くのファンに愛されています。

薩摩出身のエリート少尉で鶴見中尉を崇拝

薩摩(鹿児島)出身の鯉登少尉の最大の特徴は、鶴見中尉に対する度を越した崇拝です。常に鶴見中尉のブロマイドを胸ポケットに忍ばせており、その執着ぶりはエスカレートの一途を辿ります。月島軍曹と鶴見中尉の2ショット写真を手に入れた際には、月島の顔部分を自分の顔に張り替えて、自分と鶴見中尉の2ショットに作り替えてしまうほど。この写真は実際にヤングジャンプの付録として現物化され、ファンの間で大きな話題となりました。さらに興奮すると早口の薩摩弁になってしまい何を言っているのか分からなくなるため、鶴見中尉との会話時には月島軍曹が通訳を務める羽目になります。また、自顕流独特の「猿叫(えんきょう)」という「キエエエエエ!」という叫び声を発することもあり、その奇行ぶりは公式グッズでは「薩摩の奇公子」と表現されるほどです。

自顕流の使い手で高い戦闘能力を持つ

鯉登少尉は薩摩に伝わる古流剣術・自顕流の使い手です。自顕流は一撃必殺を旨とする流派で、初太刀で相手を武器ごと叩き斬る圧倒的な破壊力を持ちます。新選組局長の近藤勇をして「初太刀は外せ」と言わしめたほどの恐るべき技であり、鯉登少尉の自顕流による猛襲は杉元佐一をも追い詰めました。しかし登場当初は経験不足と覚悟の甘さから、新選組の生き残りである永倉新八に「かつての薩軍達の気合には到底及ばない」と評されてしまいます。それでも仲間の死を目の当たりにし、「薩摩隼人は命を賭けたから強かった。だが、自分のような若輩者の命を賭けたところで、勝てる相手ではない」と気づき、「オイは皆んため…もっと沢山の誰かのため 勝たないかん」と、死ぬ覚悟ではなく生きて勝つ覚悟を決めたことで、真の自顕流の使い手へと成長していきます。

月島軍曹との名コンビが人気

鯉登少尉と月島軍曹は、階級こそ鯉登が上ですが、年齢や兵士としての経験値では月島が圧倒的に優位という関係性です。当初、月島は経験の浅いお坊ちゃん少尉の「お守り役」として鯉登に付き添っていました。鯉登の早口の薩摩弁を通訳したり、鯉登が暴走するのを止めたり、面倒ごとを押し付けられたりと、月島が一方的に手を焼く様子が頻繁に描かれます。しかし物語が進むにつれて、二人は互いを支え合う真の名コンビへと成長していきます。五稜郭での最終決戦では、鶴見中尉と心中する勢いだった月島軍曹を鯉登少尉が阻止し、その後は鯉登が月島に「自分についてくるよう」と導く立場へと逆転します。最終的には鯉登が中将となった際、月島を右腕としてヘッドハンティングし、二人は生涯を通じて共に歩むことを選びました。

鯉登少尉と鶴見中尉の運命的な出会い

鯉登少尉が鶴見中尉を異常なまでに崇拝するようになったのには、少年時代の二つの出来事が深く関わっています。14歳の時の鹿児島での出会い、そして16歳の時の函館での誘拐事件からの救出。この二つの「運命的な」出会いが、鯉登音之進という青年の人生を決定づけることになりました。しかし読者が後に知ることになる衝撃の真実は、これらすべてが鶴見中尉によって綿密に計画され実行された「自作自演」だったということです。鯉登少尉の過去に隠された物語は、鶴見中尉の恐るべき洞察力と計算高さを物語ると同時に、それでも鶴見を裏切らなかった鯉登の覚悟の深さをも示しています。

14歳の荒れた少年時代に鶴見中尉と出会う

鯉登少尉が14歳だった頃、彼は鹿児島で問題行動の多い「ボンボン」として周囲から腫れ物扱いされる日々を送っていました。裕福な鯉登家の家柄を盾に好き放題やっていた音之進少年は、当時高価だった三輪車を乗り回し街中を我が物顔で走り回っていたのです。ある日、通りかかった男性にぶつかってしまった鯉登少年でしたが、謝ることもせず横柄な態度を取り続けました。その男性こそが鶴見中尉でした。鶴見中尉は鯉登少年を追いかけて三輪車を止めさせ、「ケンカをするなら自分の名前でやったらどうだ」と真っ直ぐ諭します。カッとなった鯉登は通行人の杖を借りて自顕流で鶴見中尉に挑みますが、素手で止められた上に顔を平手打ちされてしまいます。地元では誰も逆らえない鯉登家のお坊ちゃんに、一歩も引かなかった鶴見中尉。その毅然とした態度に心を開いた鯉登少年は、兄を日清戦争で亡くして以来、船酔いをするようになり海軍の道を諦めざるを得なくなったこと、そして父が自分に関心を持たなくなり疎遠になったことを打ち明けます。鶴見中尉は「いなくなった兄の穴を君が埋める必要はない」と優しく語りかけ、二人は一緒に月寒あんぱんを食べながら、西郷隆盛の墓を訪れました。そして別れ際、鶴見中尉は「また偶然会えたのなら、お互い友人になれという天の声に従おうではないか」と約束を交わしたのです。

16歳で誘拐され鶴見中尉に救出される

鶴見中尉との出会いから2年後、父の仕事の都合で函館に移住していた16歳の鯉登は、海軍兵学校受験を控えた時期に何者かに誘拐されるという事件に巻き込まれます。誘拐犯はロシア語を話し、ロシア軍の関与が疑われました。犯人は鯉登の身柄と引き換えに、父・鯉登大佐(当時)が監督する函館要塞と駆逐艦の破壊を要求してきたのです。海軍大佐という立場にあった父は、国家の利益を優先し、息子である音之進に「国のために死んでくれ」と直接電話で告げます。絶望的な状況の中、鯉登少年は父に「兄のようになれずに申し訳ない。私は生まれてこなかったものと考えて下さい」と涙ながらに語りました。しかし事件発生から4日後、ロシア語を話せる通訳として陸軍から招聘された鶴見中尉が奪還作戦を指揮することになります。鶴見中尉は綿密な手順を踏んでロシア大使館からの電話を誘導し、鯉登の居場所が五稜郭だと特定すると、鯉登大佐と共に三輪車に飛び乗って救出に向かいました。まさに運命の再会でした。無事に救出された鯉登少年は、2年前に鹿児島で出会った「月寒あんぱんの人」が自分を助けに来てくれたことに深い運命を感じ、この日から鶴見中尉への崇拝が始まったのです。

憧れから陸軍の道を選んだ経緯

誘拐事件での救出以降、鯉登少年と鯉登大佐の父子は共に鶴見中尉との縁を深めていきます。自分を英雄的に救ってくれた鶴見中尉に、鯉登少年は心の底から感謝と尊敬の念を抱くようになりました。この事件が転機となり、鯉登少年は人生の進路を大きく変えることを決意します。それまでは兄と父に倣って海軍を目指す予定でしたが、受験直前だった海軍兵学校を辞退し、陸軍士官学校への進路変更を選んだのです。これは「鶴見中尉のお役に立ちたい」「鶴見中尉の下で働きたい」という純粋な思いからでした。士官学校を優秀な成績で卒業した鯉登少年は、念願叶って旭川の第七師団に配属され、鶴見中尉の部下として軍人の道を歩み始めます。この時の鯉登少年は、鶴見中尉への憧れと忠誠心に満ち溢れた、純粋で真っ直ぐな青年でした。のちに鶴見中尉の自作自演を知ることになっても、鯉登少尉は「自分という駒を手に入れるためにそこまでしてくれた」と解釈し、さらに心酔を深めることになります。この健気なまでの忠誠心と、それでいて物語を通じて大きく成長していく姿が、鯉登少尉というキャラクターの最大の魅力となっているのです。

鯉登少尉の死亡フラグが立った衝撃シーン

物語が五稜郭での最終決戦へと向かう中、鯉登少尉には数々の死亡フラグが立ち、読者やファンの間で大きな話題となりました。『ゴールデンカムイ』という作品において、死亡フラグは単なる演出ではなく、実際に多くの主要キャラクターが命を落としてきた歴史があります。そのため、鯉登少尉に立った死亡フラグは決して軽視できるものではありませんでした。290話「観音像」で聯隊旗手を目指して先陣を切る鯉登少尉がソフィアの同志に迎撃された場面では、Twitterで「鯉登少尉」がトレンド入りするほどファンは生死の境目を心配したのです。さらに父・鯉登平二少将の戦死という衝撃的な展開が、鯉登少尉の運命にさらなる緊迫感を加えていきます。

旗手任命が最大の死亡フラグに

五稜郭での最終決戦において、鶴見中尉は鯉登少尉を聯隊旗手に選びました。聯隊旗手とは部隊の象徴である軍旗を持って先陣を切る、極めて名誉ある役割です。しかしその裏には、敵の集中砲火を浴びる最も危険な立場でもあるという冷酷な現実がありました。月島軍曹は第七師団の遺体を盾にして何とか銃撃を避けている鯉登少尉に気づき、鶴見中尉に報告します。しかし鶴見中尉は鯉登少尉を止めようとはせず、「聯隊旗手に相応しいか信じてみよう」と楽しそうに話すのでした。これは軍人として最高の名誉を与えると同時に、実質的に死地に向かわせる命令でもあったのです。鯉登少尉は聯隊旗手を目指して先陣を切る勢いで突撃していきますが、その姿は読者に強烈な死亡フラグとして映りました。当時のファンの反応を見ても、多くの人が「これは死ぬかもしれない」と本気で心配していたことが分かります。

五稜郭でソフィアの同志に迎撃される

290話「観音像」において、杉元佐一・土方歳三一派と鶴見中尉率いる第七師団小隊が五稜郭で激突しました。第七師団はパルチザンの銃弾に次々と倒れていき、橋を渡ろうとする兵士たちが撃たれていく壮絶な戦場となります。その中で鯉登少尉は撃たれそうになりながらも第七師団の遺体を盾にして銃弾を防ぎ、様子を伺っていました。そして意を決して突撃した瞬間、ソフィアの同志2名が鯉登少尉を迎撃し、激しい銃撃戦が始まります。この場面で鯉登少尉の死亡フラグが最高潮に達し、2021年9月16日にはTwitter上で「鯉登少尉」がトレンド入りするほど、生死の境目の展開にファンは盛り上がりました。絶体絶命の状況に追い込まれた鯉登少尉でしたが、ソフィアの同志に反撃するために真っ先に動いたのも彼自身でした。そしてまさに撃たれようとしたその瞬間、鶴見中尉と菊田特務曹長が現れてソフィアの同志を撃ち、鯉登少尉は九死に一生を得ます。しかしこれで安心したのも束の間、さらなる試練が鯉登少尉を待ち受けていました。

鯉登平二少将(父)の戦死で緊迫感が増す

五稜郭の戦いにおいて、鯉登少尉にとって最も衝撃的だったのは、父・鯉登平二少将の戦死でした。海軍大湊要港部の司令官だった鯉登平二は、鶴見中尉の策謀にはまる形で海軍を率いて五稜郭に参戦し、艦砲射撃によって攻城戦を支援していました。鶴見中尉は「父の愛があれば息子に砲弾は落ちない」と豪語していましたが、マンスール・キラウシ・門倉の砲撃によって鯉登平二の駆逐艦は沈没してしまいます。292話では、鯉登平二が最期の瞬間に息子・音之進のことを想いながら艦と共に海に沈む様子が描かれました。かつて誘拐事件で疎遠になっていた父子の絆は修復され、父は息子のことを深く愛していました。しかし戦争という過酷な運命は、その父の命を奪ってしまったのです。父の戦死は鯉登少尉の死亡フラグをさらに強化する要因となりました。なぜなら、父を失った悲しみと怒りが鯉登少尉をより危険な戦いへと駆り立てる可能性があったからです。この時点で読者の多くは「もう鯉登少尉は助からないのではないか」と本気で心配していました。しかし鯉登少尉は、父の死を乗り越え、最終的には生き残り、父が教えてくれた自顕流で土方歳三との決戦に臨むことになるのです。

鯉登少尉vs土方歳三!死亡の危機を乗り越えた最終決戦

五稜郭での激戦を生き延びた鯉登少尉でしたが、真の試練はこれからでした。杉元たちを追って函館行きの列車に飛び乗った鯉登少尉は、暴走列車の狭い車内で新選組の鬼の副長・土方歳三との一騎打ちという、まさに死と隣り合わせの状況に陥ります。土方歳三は蝦夷共和国建国という明確な目的のために死を恐れず突き進む、文字通り「最後の侍」でした。一方の鯉登少尉は、鶴見中尉の自作自演を知り、父の戦死を経験し、自分が何のために戦っているのか迷いを抱えていました。経験でも覚悟でも圧倒的に上回る土方を前に、鯉登少尉は死の淵に立たされます。しかしこの戦いを通じて、鯉登少尉は真の自顕流の使い手として、そして一人の将校として覚醒することになるのです。

暴走列車での一騎打ちが始まる

306話「特攻」において、暴走列車を舞台とした苛烈な戦いが繰り広げられました。杉元・土方一派VS鶴見中尉率いる第七師団という最終決戦の中で、鯉登少尉は土方歳三と直接対峙することになります。土方は軍刀を構える鯉登少尉に対して「迷いがあるなら今すぐ降りろ」と言い放ちました。蝦夷共和国を建国するという揺るぎない目的を持ち、死を恐れず突き進む土方には、鯉登少尉の迷いが手に取るように分かったのです。鯉登少尉は命をかけても勝てる相手ではないことを理解していました。しかし同時に、それでも守るべきものがあるという自覚も芽生え始めていました。一方、別の車両では牛山辰馬と月島軍曹が戦闘中で、月島は捨て身の覚悟で牛山に飛びつき、手榴弾を起爆させようとしていました。鯉登少尉にとって、土方との戦いは単なる敵との戦闘ではなく、自分自身の迷いとの戦いでもあったのです。

自顕流で土方の頭蓋に一太刀を入れる

決意を固めた鯉登少尉は、自顕流を持って土方へ斬りかかります。土方は咄嗟に足元の銃剣を蹴り上げて鯉登少尉の攻撃をかわそうとしますが、鯉登少尉は顔が傷つくことを恐れずそのまま唐竹割りを叩き込みました。跳ね上がった銃剣の刃が左頬に刺さりますが、鯉登少尉は意に介さず全身全霊を乗せた初太刀を土方に叩き込みます。自顕流の一太刀はあまりに強く、業物の兼定とぶつかった鯉登の軍刀は折れてしまいました。しかし鯉登少尉はまったく引かずに押し込み続け、遂にその刃を土方の頭蓋へめり込ませることに成功します。メリメリと音を立てながら土方の脳天に刺さっていく刀。新選組の鬼の副長として数々の修羅場をくぐり抜けてきた土方歳三も、この一撃には耐えられませんでした。

顔に傷を負いながらも勝利を掴む

土方との戦いで、鯉登少尉は左頬に深い刀傷を負いました。端正な顔立ちが特徴だった鯉登少尉にとって、顔の傷は大きな代償でした。しかしそれ以上に、彼はこの戦いで何よりも大切なものを手に入れました。迷いを捨て、守るべきものを見つけ、そして土方歳三という強敵に勝利したのです。土方に勝利した鯉登少尉は、月島軍曹と牛山の戦いが行われている車両へと駆けつけます。捨て身の覚悟で牛山に飛びつき手榴弾を起爆させようとしていた月島軍曹を、鯉登少尉の呼びかけが救いました。鯉登少尉は深い傷を負いながらも列車内で気を失ってしまいますが、大事な部下達をこれ以上私情に巻き込むことはできないと考えた鶴見中尉が自分の乗る先頭車両だけを切り離したため、鯉登少尉の命は救われました。最終回では、左頬の刀傷が残った姿で中将として描かれており、この傷は鯉登少尉にとって誇りの証となったのです。

月島軍曹との関係性と絆

鯉登少尉と月島軍曹の関係性は、『ゴールデンカムイ』における最も美しい絆の一つとして多くのファンに愛されています。当初は一方的に手を焼かれる「お守り役」と「お坊ちゃん」という関係だった二人が、数々の困難を乗り越える中で、互いを支え合う真の名コンビへと成長していきました。階級は鯉登が上ですが、年齢や経験では月島が圧倒的に上という関係性。鯉登の早口の薩摩弁を通訳し、暴走を止め、時には命がけで守る月島。そして次第に成長し、月島を救い、導く存在となっていく鯉登。最終的には鯉登が中将となった際、月島を右腕としてヘッドハンティングし、二人は生涯を通じて共に歩むことになりました。

最初は「お守り」だった月島軍曹

物語当初、月島軍曹は経験の浅いお坊ちゃん少尉の「お守り役」として鯉登に付き添っていました。鯉登の早口の薩摩弁を通訳したり、鯉登が暴走するのを止めたり、面倒ごとを押し付けられたりと、月島が一方的に手を焼く様子が頻繁に描かれます。階級は鯉登が上ですが、少尉でありながら何でも月島軍曹に頼りきりで、それを恥じる様子すらありませんでした。杉元・谷垣とともに樺太への旅に向かう際も、少尉でありながら月島軍曹に決定権が委ねられるほどでした。鶴見中尉に報告があるときも、月島を介して言葉を伝える鯉登。任務に忠実で真面目な月島に内心「めんどくさい」と思わせるほど手がかかる人物だったのです。

互いを支え合う名コンビへと成長

しかし物語が進むにつれて、二人の関係性は大きく変化していきます。189話では、キロランケの仕掛けた爆弾に引っかかった鯉登少尉を、月島が身を挺して庇う場面が描かれました。212話では、杉元に胸を刺され倒れた鯉登少尉に対し、月島軍曹は任務そっちのけで鯉登の心配をします。一方、鶴見中尉は一瞥するだけで見て見ぬフリをしました。この時、月島は鶴見中尉の本質を目の当たりにし、怒りをあらわにします。そして鯉登少尉もまた、月島軍曹の優しさと忠誠心の深さを理解していきました。260話では、ビールの海に引きずり込まれたとき、鯉登はアシリパを捕まえることより自分を助けることを優先した月島を一喝しますが、それは上官としての命令ではなく、月島を心配する気持ちからでした。

鶴見中尉の死後も共に歩む道を選ぶ

最後の五稜郭での決戦において、鶴見中尉と心中する勢いだった月島軍曹を鯉登少尉は阻止しました。牛山との戦いにおける月島の捨て身の特攻は鯉登少尉の呼びかけでキャンセルされ、暴走列車の屋根から鶴見中尉が月島に伸ばした魔の手は鯉登少尉の嘆願で解除されます。鶴見中尉が行方不明となった後、その遺品を探す月島軍曹に鯉登少尉は檄を飛ばしました。「部下を守るためにまだまだやることがある」と。そして月島軍曹は、鯉登少尉についていくことを決めます。314話では、それから6ヶ月後、第七師団は賊軍として中央政府から裁かれる立場となっていましたが、鯉登少尉は鶴見中尉が率いていた部下達を守るため、月島軍曹を右腕としてヘッドハンティングしました。「月島基は鯉登音之進中将の右腕を全うした」。二人は最後まで共に歩む道を選んだのです。

鯉登少尉に関するよくある質問

鯉登少尉は本当に死亡しないのか?

はい、鯉登少尉は原作最終話(314話)まで生き残ります。数々の死亡フラグが立ち、土方歳三との戦いで深い傷を負いながらも、最終的には生存し、中将に昇進して第七師団の最後の師団長となりました。多くの主要キャラクターが命を落とす『ゴールデンカムイ』において、鯉登少尉の生存は読者にとって大きな安堵をもたらしました。

死亡フラグが立ったのはどのシーン?

最大の死亡フラグは290話で聯隊旗手に任命され、五稜郭でソフィアの同志に迎撃された場面です。この時Twitterで「鯉登少尉」がトレンド入りするほど、ファンは生死を心配しました。また父・鯉登平二少将の戦死(292話)も、鯉登少尉の死亡フラグをさらに強化する要因となりました。

父・鯉登平二少将は死亡したのか?

はい、父・鯉登平二少将は五稜郭の戦いで戦死しました。292話で、息子・音之進のことを想いながら艦と共に海に沈む様子が描かれています。鶴見中尉の策謀にはまり海軍を率いて五稜郭に参戦し、艦砲射撃で支援していましたが、マンスール・キラウシ・門倉の砲撃によって駆逐艦が沈没し、殉職しました。

鯉登少尉は死亡する?最終決戦の結末まとめ

鯉登音之進少尉は、『ゴールデンカムイ』において最も劇的な成長を遂げたキャラクターの一人です。結論として、鯉登少尉は死亡せず、最後まで生き残りました。数々の死亡フラグが立ち、父の戦死を経験し、土方歳三との死闘で左頬に深い刀傷を負いながらも、彼は生き抜きました。そして鶴見中尉の死後、反乱分子として裁かれる第七師団の部下たちを守るため、月島軍曹を右腕に中央と戦い続けます。最終的には中将に昇進し、「第七師団最後の師団長」として歴史にその名を刻みました。世間知らずで我儘なお坊ちゃん軍人として登場した鯉登少尉が、部下を守り、月島を導き、第七師団を背負って立つ存在へと成長した姿は、『ゴールデンカムイ』という作品における最も感動的な物語の一つとなっています。

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