『魔法少女まどか☆マギカ』のTV版最終話で突如登場し、多くのファンを混乱させた「円環の理(えんかんのことわり)」。2025年10月から始まった日5枠再放送で初めてまどマギに触れた方の中にも、「一体何のこと?」と頭を抱えた人が多いのではないでしょうか。
円環の理とは、神格化したまどかによる魔法少女救済システムであり、作品の核心を成す最重要概念です。この記事では、初心者でも理解できる分かりやすさで円環の理の基本から、劇場版「叛逆の物語」で明かされた衝撃の真実、そして2026年2月公開予定の新作映画『ワルプルギスの廻天』への展望まで、徹底的に解説します。この記事を読めば、新作映画を最高の状態で楽しむ準備が整うはずです。
円環の理が誕生した理由

円環の理はなぜ生まれたのか。それを理解するには、まどマギの世界における魔法少女システムの残酷な真実を知る必要があります。TV版で段階的に明かされるこのシステムの正体は、多くの視聴者に衝撃を与えました。そして、その絶望的な仕組みを打ち破るために、まどかは究極の選択をしたのです。
魔法少女が必ず魔女になる絶望的なシステム
まどマギの世界で最も衝撃的な真実、それが「魔法少女は最終的に必ず魔女になる」という事実です。第8話でさやかの魔女化によって明かされたこの仕組みは、作品の根幹を支える重要な設定でした。
魔法少女のソウルジェムは、魔法を使うたびに穢れが溜まって濁っていきます。そして実は、魔法を全く使わなくても、肉体を維持しているだけで少しずつ濁りは進行するのです。グリーフシードを使って浄化することもできますが、グリーフシードは魔女を倒さなければ手に入りません。つまり魔法少女たちは、自分が魔女にならないために魔女を狩り続けなければならないという、終わりのない戦いを強いられているのです。
そして濁りきったソウルジェムはグリーフシードへと変化し、魔女が誕生します。希望を願って魔法少女になった少女たちが、最後は自分自身が倒すべき敵になってしまう。この残酷な運命こそが、キュゥべえたち地球外生命体インキュベーターが仕組んだシステムでした。彼らの真の目的は、魔法少女が希望から絶望へ相転移する際に発生する莫大なエネルギーを回収することだったのです。
まどかが願った「全ての魔法少女を救済したい」
TV版第12話、最強の魔女「ワルプルギスの夜」との戦いの後、まどかはついにキュゥべえと契約することを決意します。ここでまどかが口にした願いこそが、円環の理誕生の起点となりました。
「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女を、この手で」
この願いは、個人的な望みを超えた普遍的な救済を求めるものでした。時間遡行を繰り返してきたほむらの因果が集約したことで、まどかは宇宙史上最高の魔法少女となる素質を得ていました。その膨大な因果律を使い、まどかは過去・現在・未来の全ての時空を超えて、魔法少女が魔女になる瞬間に介入することを選んだのです。
これは単なる願いではなく、世界の法則そのものを書き換える行為でした。魔法少女が魔女になるという因果律を根本から否定し、新しい宇宙の摂理を創造する。それは人間の身では不可能な、概念そのものにならなければ実現できない奇跡だったのです。
自ら概念となり世界の法則そのものを書き換えた
まどかの願いが叶った瞬間、彼女は人間としての存在を失いました。時間も空間も超越した概念的存在となり、過去から未来まで全ての時代、全ての場所に遍在する存在へと変貌したのです。
この世界改変により、魔法少女システムは根本的に変わりました。魔法少女たちは魔女になる直前、ソウルジェムが濁りきる寸前にまどかが現れ、魔女化する前に救済されるようになったのです。絶望に堕ちることなく、希望を胸に抱いたまま消滅できる。これが円環の理による新しい世界の法則でした。
ただし、魔法少女システム自体は残り続けています。少女たちは依然として願いを叶える代償に戦い続けなければならず、最後は消滅する運命です。それでも、魔女として人々を襲う存在にならずに済むこと、絶望ではなく希望のままに終われることは、旧システムと比べれば大きな救済だったのです。改変後の世界では、魔女の代わりに「魔獣」という新たな敵が出現し、魔法少女たちはその魔獣と戦うことになりました。
ほむらだけがまどかの存在を記憶している理由
世界が書き換えられた後、鹿目まどかという人間は「最初からこの世に存在しなかった」ことになりました。家族も友人も、誰もまどかのことを覚えていません。しかし、たった一人だけ例外がいました。それが暁美ほむらです。
ほむらがまどかを記憶できたのは、彼女が時間遡行者だったからです。何度も同じ時間を繰り返し、異なる時間軸を渡り歩いてきたほむらは、世界改変の瞬間に立ち会い、その全てを目撃しました。まどかも最後に「あなたが忘れずにいてくれるなら、私はどこにでもいる」とほむらに語りかけています。
改変後の世界でほむらは、誰にも理解されない孤独を抱えながら戦い続けます。かつて守ろうとした少女はもうこの世界には存在せず、いつか自分も力尽きて円環の理に導かれる日を待ちながら。この切ない状況こそが、劇場版「叛逆の物語」へと繋がる重要な伏線となっているのです。まどかの母・詢子や弟のタツヤも、おぼろげながらまどかの存在を感じ取る描写がありますが、明確に記憶しているのはほむらだけなのです。
円環の理による救済の仕組み

円環の理がどのように魔法少女を救済するのか、その具体的な仕組みを理解することで、まどマギの世界観がより深く見えてきます。TV版最終話やその後を描いた外伝作品で断片的に語られる救済システムは、希望と絶望が交錯する切ないものでした。
ソウルジェムが濁りきる直前にまどかが現れる
円環の理による救済は、魔法少女のソウルジェムが完全に濁りきる寸前、魔女が生まれる一歩手前のタイミングで発動します。このギリギリの瞬間に、概念となったまどかが魔法少女の前に顕現するのです。
TV版第12話では、力を使い果たしたさやかの前にまどかが現れるシーンが描かれました。まどかは優しく微笑みかけ、さやかを迎えに来ます。この時のさやかの表情は穏やかで、恭介のヴァイオリンの音色に包まれながら安らかに消えていきました。改変前の世界でさやかは絶望のあまり魔女と化しましたが、改変後の世界では希望を抱いたまま最期を迎えることができたのです。
このシステムは自動的に作動します。過去・現在・未来の全ての時空で、魔女が生まれる瞬間にまどかは介入し続けています。クレオパトラの時代にも、遙か未来にも、宇宙の果てにも。あらゆる時空に遍在する概念だからこそ、円環の理は全ての魔法少女を救済できるのです。
魔法少女は魔女にならず心安らかに消滅する
円環の理に導かれた魔法少女は、魔女になることなく消滅します。これが改変前と改変後の最大の違いです。改変前は魔法少女が魔女になり、元仲間に討伐されるという残酷な運命でした。しかし改変後は、絶望に堕ちる前に救われるのです。
消滅する瞬間、魔法少女たちは穏やかな表情を浮かべます。戦いの日々、叶えた願い、出会った仲間たち。全てを思い出しながら、「やりきった」という充足感と共に終わりを迎えられる。それは決して幸せな結末とは言えませんが、絶望のまま化け物になるよりは遙かに救われた最期でした。
ただし、周囲の人々からすれば魔法少女は突然消えてしまうことに変わりありません。家族も友人も、魔法少女の存在を知らない人々にとっては、大切な人が理由もわからず失踪したように見えるのです。外伝作品『魔獣編』では、さやかが消えた後の恭介や仁美の様子が描かれ、魔法少女の宿命の重さが改めて浮き彫りになりました。
導かれた魔法少女は円環の理の一部になる
劇場版「叛逆の物語」で明かされた衝撃の真実があります。それは、円環の理がまどか単体の存在ではなく、救済された全ての魔法少女の魂の集合体だということです。まどかが概念になる際に「独りじゃないよ。みんないつまでも私と一緒だよ」と語った言葉通り、導かれた魔法少女たちも円環の理の一部となっているのです。
つまり消滅した魔法少女たちは完全に消えるわけではなく、まどかと共に円環の理という大きな概念の中で存在し続けているということになります。時にはまどかの補佐役として救済活動を手伝ったり、円環の理の力の一部として機能したりしているのです。この設定は、劇場版でさやかとなぎさが「円環の理の鞄持ち」として活動する姿で具体的に描かれました。
ある意味、これは魔法少女版の「あの世」とも言えるかもしれません。現世での個別の存在は失われますが、より大きな概念の一部として永遠に存在し続ける。まどマギ流の救済と輪廻転生が融合したような、独特の死生観が表現されているのです。
改変後の世界では魔女の代わりに「魔獣」が出現
円環の理による世界改変には、予期せぬ副作用がありました。それが「魔獣」という新たな敵の出現です。魔女が存在しなくなった世界で、人間の負の感情を糧とする別の脅威が生まれたのです。
魔獣はモザイクやノイズがかかったようなデザインで、明らかに改変前には存在しなかった異質な存在です。人間の負の感情から発生し、魔女と同じように人々を襲います。魔法少女たちは魔女ではなく魔獣を狩り、魔獣が落とすキューブ状のアイテムでソウルジェムを浄化します。
改変前のグリーフシードと比べ、魔獣のキューブは浄化能力が低いとされています。つまり魔法少女たちは以前より頻繁に戦わなければならず、ある意味では負担が増えたとも言えます。キュゥべえも改変後の世界では「魔法少女が魔女になる旧システムの方が効率的だった」と評しており、エネルギー回収効率は大幅に低下したようです。
それでも、魔獣システムには一つ大きな利点がありました。改変後のキュゥべえは魔法少女たちに「ソウルジェムが濁りきると消滅する」という事実を契約時に伝えるようになったのです。隠す必要がなくなったため、魔法少女たちは自分の運命を知った上で戦えるようになりました。透明性が増したという点では、旧システムよりマシになったと言えるでしょう。
暁美ほむらが円環の理を書き換えた理由と経緯

劇場版「叛逆の物語」のクライマックスは、多くのファンに衝撃を与えました。ほむらが円環の理に導かれるかと思いきや、逆に円環の理を書き換えてしまったのです。「わけがわからないよ」と叫んだのはキュゥべえだけでなく、観客も同じ気持ちだったでしょう。しかしこの展開には、ほむらなりの深い理由がありました。
まどかの本心「本当はみんなと別れたくない」を知る
叛逆の物語の序盤、ほむらは自分が魔女の結界の中にいることに気づきます。そしてその結界を作り出したのが自分自身、魔女化寸前の自分のソウルジェムだったことを知り、絶望します。この状況を作り出したのは、円環の理を観測・干渉しようとしたインキュベーターの実験でした。
結界の中で、ほむらはついにまどかと再会します。しかし結界内のまどかは円環の理としての記憶を持たない、普通の魔法少女の姿でした。二人が語り合う中で、まどかは何気なくこう口にします。「本当は魔法少女なんかにならず、みんなと一緒にいたかった」と。
この言葉がほむらの心を大きく揺さぶりました。まどかは全ての魔法少女を救うために概念となることを選びましたが、本心では家族や友人たちと普通の生活を送りたかったのです。TV版でまどかが「ほむらちゃんが忘れずにいてくれるなら、私はどこにでもいる」と語った時、その言葉の裏には「本当は一緒にいたかった」という思いが隠されていたのでしょう。ほむらはまどかの本当の願いに、ここで初めて気づいたのです。
円環の理に導かれず魔女化を選んだほむら
ほむらの結界が破壊され、円環の理としてのまどかが記憶と力を取り戻し、ほむらを救済しようと天から降りてきます。普通ならここで物語は終わりのはずでした。ほむらは円環の理に導かれ、長い戦いの日々に終止符を打てたはずです。
しかしほむらは、円環の理に導かれることを拒否しました。それどころか、自ら魔女になる道を選んだのです。通常、魔法少女は絶望によって魔女化しますが、ほむらは「まどかを人間に戻したい」という強い願望によって魔女化しました。これは前例のない特殊なケースです。
なぜほむらは救済を拒んだのか。それは、自分が円環の理に導かれてしまえば、もうまどかの本当の願いを叶えることができなくなるからです。ほむらにとって最も大切なのは、魔法少女を救うことでも、世界を守ることでもなく、ただ一点、まどかの幸せでした。そのためなら、自分が魔女になることも、悪魔になることも厭わない。それがほむらの覚悟だったのです。
愛ゆえに悪魔となり「人としてのまどか」を引き抜く
魔女化したほむらを救済しようと、まどかがほむらの手を取ります。しかしその瞬間、ほむらは逆にまどかの手を掴み返しました。そして円環の理の力の一部を無理やりもぎ取り、因果律を再構成したのです。これは神に等しい存在への反逆、まさに「悪魔の所業」でした。
ほむらが円環の理から引きはがしたのは「人としての鹿目まどかの記憶」の部分でした。円環の理そのものは破壊されておらず、魔法少女を救済するシステムは依然として機能し続けています。ただし、まどかの人格の一部が円環の理から分離され、「3年ぶりにアメリカから帰国した転校生」として見滝原で普通の学校生活を送ることになったのです。
ほむらは自らを「悪魔」と称しました。神(円環の理)に対する悪魔。しかしほむら自身は、これを愛ゆえの行動だと語ります。まどかの「みんなと一緒にいたかった」という本心を叶えるため、たとえ世界を敵に回しても、たとえ自分が悪魔と呼ばれても、ほむらはまどかを人間に戻すことを選んだのです。これが希望でも絶望でもなく「愛」によって動いた、ほむら独自の魔法だったのです。
公式ガイドブックによれば、この結末には重要な意味がありました。もしほむらが円環の理に導かれていたら、キュゥべえは他の魔法少女で実験を続け、いずれ円環の理は捕らえられていたかもしれません。ほむらの「叛逆」は、結果的に円環の理を守ることにもなったのです。ただし改変後の世界では、まどかが円環の理への再覚醒の兆しを見せており、この不安定な状態がいつまで続くのかは誰にもわかりません。その答えは、新作映画『ワルプルギスの廻天』で明かされることでしょう。
新作映画『ワルプルギスの廻天』で円環の理はどう描かれる?

2026年2月、ついにファン待望の完全新作劇場版『ワルプルギスの廻天』が公開されます。叛逆の物語から実に12年以上、ファンは続きを待ち続けてきました。ほむらによって書き換えられた世界で、円環の理はどのような役割を果たすのでしょうか。
2026年2月公開!叛逆の物語の正統続編
『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』は、2013年公開の「叛逆の物語」の正統続編として制作されています。当初は2024年冬、その後2025年冬と公開延期が続きましたが、2026年2月に公開されることが正式に発表されました。新房昭之総監督、脚本・虚淵玄、キャラクター原案・蒼樹うめ、音楽・梶浦由記、アニメーション制作・シャフトと、オリジナルスタッフが再結集した本格的な続編です。
2025年7月に公開されたキービジュアル第2弾には、「世界は彼女を赦さない」というコピーと共に、手を差し伸べ合うまどかとほむらが描かれています。二人の背後には他の魔法少女たちや新キャラクターの姿も確認でき、物語が大きく動くことを予感させます。また、公開された予告映像ではほむらが「ワルプルギスの夜」について語るシーンがあり、タイトルにもなっているこの最強の魔女が物語の鍵を握ることが示唆されています。
さらに2025年10月からは、日5枠(MBS/TBS系全国28局ネット・毎週日曜17時)で「始まりの物語/永遠の物語 TV Edition」が放送されており、新規ファンも続々と増えています。まさに今、まどマギは再び大きなムーブメントを迎えているのです。
円環の理の完全復活か新たな世界の誕生か
新作映画で最も気になるのは、円環の理がどうなるのかという点でしょう。叛逆の物語のラストで、ほむらは円環の理から「人としてのまどかの記憶」を引きはがしました。しかし円環の理による救済システム自体は機能し続けており、まどかも円環の理への再覚醒の兆しを見せています。この不安定な状態がどう展開するのか、いくつかのシナリオが考えられます。
一つ目は、まどかが完全に円環の理としての記憶を取り戻し、元の姿に戻るパターンです。その場合、ほむらの書き換えた世界は崩壊し、再び円環の理による救済システムが主導する世界に戻るでしょう。二人は再び離れ離れになってしまうのか、それとも何か新しい解決策が見つかるのか。
二つ目は、ほむらとまどかが協力して、円環の理でもほむらの世界でもない、全く新しい世界を創造するパターンです。タイトルの「廻天」は「天をめぐらす」「世界をひっくり返す」という意味があり、さらなる世界改変を示唆しているようにも思えます。魔法少女システムそのものが根本から変わる可能性すらあるかもしれません。
三つ目は、円環の理とほむらの世界が共存する形で物語が進むパターンです。まどかが二つの在り方を同時に持つという、ある種の折衷案です。キービジュアルで手を差し伸べ合う二人の姿は、対立ではなく協調を示唆しているようにも見えます。
いずれにせよ、円環の理という概念が新作映画でも中心的な役割を果たすことは間違いありません。予告映像やキービジュアルから読み取れる情報はまだ限られていますが、12年の時を経て、まどかとほむらの物語がどのような結末を迎えるのか。そして円環の理がどのような形で完結するのか。2026年2月の公開が待ち遠しい限りです。
円環の理に関するよくある質問

円環の理について理解が深まってきたところで、ファンからよく寄せられる質問に答えていきましょう。これらの疑問を解決することで、新作映画をより深く楽しめるはずです。
円環の理とアルティメットまどかの違いは?
結論から言えば、円環の理とアルティメットまどかは全く同じものを指しています。違いは呼び方だけです。
「アルティメットまどか」は英語圏のファンや公式グッズで使われる呼称で、究極の魔法少女となったまどかの姿を表現したものです。一方「円環の理」は作中の魔法少女たちが使う呼び名で、より概念的・哲学的なニュアンスを持っています。脚本の虚淵玄氏も「アルティメットまどか(円環の理)」という表現を使っており、両者が同一の存在であることを示しています。
面白いことに、作中でまどか本人も他のキャラクターも「アルティメットまどか」という呼び方は一切使いません。ほむらは「まどか」、他の魔法少女たちは「円環の理」と呼びます。どちらの呼び方を使っても間違いではありませんが、作品世界の雰囲気を大切にするなら「円環の理」、グッズやゲームでの表記を参考にするなら「アルティメットまどか」と覚えておくとよいでしょう。
ほむらは円環の理を破壊したの?
これは多くのファンが混乱するポイントですが、答えは「No」です。ほむらは円環の理を破壊していません。
叛逆の物語でほむらが行ったのは、円環の理から「人としてのまどかの記憶」の部分だけを引きはがすことでした。劇中でほむら自身も「奪ったのは、ほんの断片。人としてのまどかの記録だけ」と発言しています。円環の理による魔法少女救済システムは依然として機能しており、魔女に代わる魔獣も存在し続けています。
つまり改変後の世界では、円環の理は魔法少女を導く存在として存続する一方で、引きはがされた「人間としての鹿目まどかの記憶」の部分だけが「3年ぶりにアメリカから帰国してきた転校生」として学校生活を送っているという状態です。円環の理はまだ存在しているけれど、まどかの人格の一部が分離されているという、複雑な状況なのです。
ただし、劇中でまどかが円環の理への再覚醒の兆しを見せているため、この状態が永続するかどうかは不明です。新作映画でこの点がどう展開するのか、注目が集まっています。
円環の理に導かれた魔法少女はどこに行く?
円環の理に導かれた魔法少女は、完全に消滅するわけではありません。彼女たちは円環の理の一部となり、概念の中で存在し続けます。
叛逆の物語で明かされたように、円環の理はまどかを中核とした、救済された全ての魔法少女の魂の集合体です。導かれた魔法少女たちは個別の肉体を失いますが、魂はまどかと共に円環の理という大きな概念の中で永遠に存在し続けるのです。時にはまどかの補佐役として救済活動を手伝ったり、円環の理の力の一部として機能したりします。
さやかとなぎさがそのよい例です。二人は円環の理に導かれた後も人格を保ち、「円環の理の鞄持ち」として活動していました。全ての魔法少女がこのような形で活動できるわけではないようですが、少なくとも完全に消え去るわけではなく、何らかの形で存在し続けていると考えられます。ある意味、これはまどマギ流の「あの世」や「天国」のような概念とも言えるでしょう。
新作映画を見る前に叛逆の物語は必須?
答えは間違いなく「Yes」です。新作映画『ワルプルギスの廻天』を楽しむためには、叛逆の物語の視聴は必須と言えます。
ワルプルギスの廻天は叛逆の物語の「正統続編」として制作されており、叛逆のラストから物語が続きます。ほむらが円環の理を書き換えた後の世界が舞台になるため、叛逆を見ていないと状況が全く理解できないでしょう。円環の理とは何か、なぜまどかが人間の姿で存在しているのか、ほむらがなぜ「悪魔」を自称しているのか。これら全てが叛逆の物語で説明されています。
理想的な視聴順序は以下の通りです。まずTV版全12話(または劇場版前編・後編)で基本的な物語を理解し、次に叛逆の物語で円環の理の詳細と世界の再改変を把握する。この流れを踏まえてからワルプルギスの廻天を見ることで、物語を最大限に楽しめるはずです。
幸いなことに、2025年10月から日5枠で「始まりの物語/永遠の物語 TV Edition」が放送されており、叛逆の物語も各種配信サービスで視聴可能です。新作映画公開までにぜひ予習しておくことをおすすめします。
「円環の理」は巴マミの中二病ワード?
これは放送当時からファンの間で語られてきたネタですが、答えは「No」です。円環の理は巴マミの中二病から生まれた言葉ではありません。
マミは必殺技に「ティロ・フィナーレ」と名前をつけることで有名で、一部のファンから中二病キャラ扱いされていました。そこにTV版第12話で「逝ってしまったわ、円環の理に導かれて」という台詞が加わったため、「マミさんが即興で作った言葉では?」というネタが広まったのです。
しかし脚本の虚淵玄氏がインタビューで明かしたところによれば、「円環の理」は改変後の世界で魔法少女たちの間に口伝されている伝承とのことです。さやかも杏子も知っており、別の時間軸からきたほむらだけが初耳だったというのが正しい設定です。実際、叛逆の物語では、ほむらもキュゥべえもさやかもなぎさも自然に「円環の理」という言葉を使っており、一般的な呼称であることがわかります。
とはいえ、このネタ自体はファンコミュニティで長年愛されてきたものであり、公式スタッフもそれを理解した上で作品作りをしています。マミさんの中二病キャラというのは、ある種のファンサービス的な側面もあるため、ネタとして楽しむ分には全く問題ありません。ただし本気で「マミが作った言葉」だと思っている人には、正しい設定を教えてあげるとよいでしょう。
円環の理まとめ

ここまで円環の理について詳しく解説してきましたが、最後に重要なポイントをまとめておきましょう。
円環の理とは、神格化したまどかによる魔法少女救済システムであり、世界の法則そのものです。TV版第12話でまどかが「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい」と願ったことで誕生し、魔法少女が魔女になる直前に救済する新しい宇宙の摂理となりました。アルティメットまどかと円環の理は同じものを指し、どちらの呼び方も正しいと覚えておいてください。
円環の理の真の姿は、まどかを中核とした救済された全ての魔法少女の魂の集合体です。導かれた魔法少女たちは完全に消えるのではなく、円環の理の一部となって存在し続けます。劇場版「叛逆の物語」では、この詳細な設定が明かされ、さやかとなぎさが「円環の理の鞄持ち」として活動する姿が描かれました。
しかし叛逆のラストで、ほむらが円環の理から「人としてのまどかの記憶」を引きはがし、世界を再び書き換えてしまいます。円環の理による救済システム自体は機能し続けていますが、まどかの人格の一部が分離されるという不安定な状態が生まれました。この状況がどう展開するのか、2026年2月公開の新作映画『ワルプルギスの廻天』で描かれることになります。
円環の理は、まどマギという作品の核心を成す概念です。希望と絶望、生と死、個と全体。相反するものを包含しながら、全てを受け入れて救済へと導く存在。それが円環の理なのです。新作映画を最高の状態で楽しむために、ぜひこの記事で円環の理への理解を深めていってください。そして2026年2月、劇場でまどかとほむらの新たな物語を目撃しましょう。
あなたもきっと、円環の理に導かれるように、作品の魅力に引き込まれるはずです。
ゼンシーア
