「鹿目まどかは死んだのか?」——魔法少女まどか☆マギカを視聴したファンなら、誰もが一度は抱く疑問です。TV版最終話で描かれた衝撃の結末。まどかは確かに人間としての姿を失いましたが、それは一般的な「死亡」とは全く異なる、究極の自己犠牲でした。
「円環の理」という概念へと昇華したまどか。その真相を知るには、ほむらの時間遡行、各時間軸での異なる死に様、そして劇場版「叛逆の物語」での衝撃的な展開を理解する必要があります。さらに2026年2月公開予定の「ワルプルギスの廻天」では、まどかの運命が再び動き出します。
本記事では、まどかの「死亡」の真相から劇場版最新作への展望まで、完全網羅で解説します。
鹿目まどか死亡の真相
「鹿目まどかは死んだのか?」この問いに対する答えは、単純なYesでもNoでもありません。まどかは確かに人間としての存在を失いましたが、それは一般的な「死亡」とは全く異なる形での昇華でした。TV版最終話で彼女が選んだ道は、自己犠牲という言葉すら超越した、宇宙の法則そのものになるという究極の選択だったのです。
ファンの間で語り継がれる「円環の理」という概念。これこそがまどかの新たな姿であり、物語の核心に迫る重要な鍵となります。彼女は物理的に死亡したのではなく、すべての魔法少女を救うために「概念」として存在し続けることを選んだのです。
物理的な死亡ではなく「円環の理」として概念化
まどかが辿った結末は、従来の死という概念では説明できない特殊なものです。彼女は最終話でキュゥべえと契約し魔法少女となった瞬間、白と桜色の衣装に身を包んだ「アルティメットまどか」へと変貌を遂げました。しかしこの姿は一瞬の輝きに過ぎず、直後に彼女は物理的な肉体を失い、宇宙の法則そのものへと昇華していきます。
この変化によって、まどかからは魂やソウルジェムといった物質的な要素がすべて消失しました。彼女はもはや時間や空間の制約を受けない、純粋な「概念」としての存在となったのです。生きているとも死んでいるとも言えない、まったく新しい次元の存在形態。それが円環の理としてのまどかなのです。
通常の魔法少女が辿る運命——戦いの果てに魔女化するか、力尽きて命を落とすか——とは根本的に異なるこの結末。まどかは自らの意思で、個人としての存在を放棄し、すべての魔法少女を救済するシステムそのものになることを選択しました。
全ての魔法少女を救うため宇宙の法則そのものに昇華
なぜまどかはこのような選択をしたのでしょうか。それは彼女の願いが「過去も未来も含めたすべての魔女を、生まれる前に消し去りたい」という、文字通り神の所業とも言える途方もないものだったからです。この願いを実現するには、まどか自身が魔法少女たちの絶望をすべて引き受け、宇宙の法則として機能する必要がありました。
ほむらが繰り返した時間遡行の影響で、まどかには途方もない因果が集中していました。「まどかを救うため」という一点に収束した無数の時間軸が、彼女を中心とする新たな因果律を形成していたのです。この膨大な因果の力こそが、まどかを神に等しい存在へと押し上げる原動力となりました。
円環の理として、まどかは過去・現在・未来のすべての時空に同時に存在します。魔法少女がソウルジェムの穢れで限界を迎えようとする瞬間、必ずまどかが現れて彼女たちを救済するのです。魔女になるという絶望の運命から、すべての魔法少女を解放すること。それが円環の理としてのまどかが果たす、永遠の使命なのです。
人としての記憶は消えたが魂と意思は永遠に存在し続ける
概念化したまどかには、もはや個人としての記憶は残されていません。家族や友人との思い出、日常の些細な出来事——人間としてのまどかを形作っていたすべてが、宇宙の再編とともに消え去りました。ほむら以外の誰も、鹿目まどかという少女が存在していたことを覚えていないのです。
しかし、まどかの魂と意思は確かに存在し続けています。円環の理として魔法少女たちを導く瞬間、彼女たちはまどかの優しさと温もりを感じ取ります。「もう大丈夫」「あなたは一人じゃない」そんなまどかの想いが、救済される魔法少女たちの心に届くのです。
さらに重要なのは、まどかによって救済された魔法少女たちの魂もまた、円環の理の一部として統合されているという事実です。これは劇場版「叛逆の物語」で明らかになった設定で、円環の理は単なるシステムではなく、無数の魂が集まった一種の集合精神として機能しています。まどかは決して孤独ではなく、救ったすべての魔法少女たちとともに永遠に存在し続けているのです。
最終話のラストシーン、ほむらだけがまどかから受け取った赤いリボンを見つめながら戦い続ける姿。それは、まどかの意思と希望が確かに受け継がれていることの証でもあります。人としての姿は失われても、まどかの想いは永遠に——。それこそが、この物語が描いた究極の希望の形なのです。
鹿目まどか死亡までの経緯

まどかが最終的に円環の理となるまでには、複雑に絡み合った運命の糸がありました。その鍵を握っていたのは、時間を超えてまどかを救おうとし続けた暁美ほむらの存在です。第10話から第12話にかけて明らかになる真実は、まどかの「死亡」が単なる偶然ではなく、ほむらとの深い絆が生み出した必然的な結末だったことを示しています。
物語の裏側で何度も繰り返されていた悲劇。それは視聴者の誰もが予想しなかった、壮絶な時間遡行の果てに辿り着いた答えでした。ここでは、まどかが概念化するまでの道のりを、時系列に沿って詳しく解説していきます。
第10話|ほむらの時間遡行でまどかに膨大な因果が集まった
第10話「もう誰にも頼らない」で明かされた衝撃の真実。それは、クールで有能な魔法少女・暁美ほむらが、かつては三つ編みで眼鏡をかけた内気な少女だったという事実でした。心臓病の療養から復学したほむらを、最初に優しく迎え入れてくれたのがまどかだったのです。
当時のまどかは既に魔法少女として活躍しており、ほむらにとっては憧れの存在でした。しかし最悪の魔女・ワルプルギスの夜との戦いでまどかは命を落とし、何もできなかった自分を責めるほむらの前にキュゥべえが現れます。ほむらの願いは「鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」というものでした。
こうして始まったほむらの時間遡行。しかしその繰り返しには、誰も予想しなかった副作用がありました。時間を遡るたびに、平行世界の因果がすべてまどかに集中していったのです。ほむらが「まどかを救いたい」という一点に収束させた無数の時間軸が、皮肉にもまどかを最強の魔法少女にして、同時に最悪の魔女になる素質を与えてしまったのです。
ほむらの努力は決して無駄ではありませんでした。しかしその努力こそが、まどかに神にも等しい力を与え、最終的に概念化へと導く原動力となってしまったのです。
第11話|ワルプルギスの夜との絶望的な戦い
第11話「最後に残った道しるべ」では、ついに本編の時間軸でワルプルギスの夜が襲来します。これまで何度も繰り返してきた運命の日が、再び訪れたのです。ほむらは自宅を訪ねてきたまどかに、涙ながらに真実を打ち明けます。「私は、まどかと違う時間を生きてるんだもの」という言葉には、何度も時間を繰り返してきた者だけが知る孤独と苦悩が込められていました。
まどかを避難させたほむらは、これまで準備してきたありったけの兵器を使ってワルプルギスの夜に挑みます。タンクローリーを爆破し、軍用兵器を次々と投入する圧巻の戦闘シーン。しかし、それでもワルプルギスの夜には全く歯が立ちませんでした。
魔力も尽きかけ、ソウルジェムも濁りきった状態で横たわるほむら。ワルプルギスの夜は住民が避難している避難所へと接近し、すべてが終わろうとしていました。これまでの時間軸と同じく、ほむらだけではワルプルギスの夜を倒すことは不可能だったのです。そこに現れたのが、ほむらの戦いを見守っていたまどかでした。
第12話|「全ての魔女を消し去りたい」究極の願いで神格化
最終話「わたしの、最高の友達」で、まどかはついに魔法少女になることを決意します。しかしその願いは、誰もが予想しなかった究極のものでした。「すべての魔女を 生まれる前に 消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の、すべての魔女を。この手で」
この願いは、まどかが契約前にマミや杏子と語り合ったシーンで予感されていました。マミは「永遠に戦い続けることになる」「まどかの存在が固定されず、ただの概念になってしまう」と忠告しますが、まどかの決意は揺るぎませんでした。
契約の瞬間、まどかは白と桜色の美しい衣装をまとったアルティメットまどかへと変貌します。そして過去から未来まで、あらゆる時空に存在するすべての魔女を、生まれる前に消し去っていきました。ワルプルギスの夜も消滅し、破壊された街も元通りに。まどかは魔女たちを優しく包み込むように救済していったのです。
しかし、すべての魔女を引き受けたまどか自身もまた、一瞬だけ最悪の魔女となりかけます。地球を包み込むほどの巨大な呪いの塊と化し、世界は破滅の危機に瀕しました。ですがまどかは「私の願いはすべての魔法少女を消し去ること。本当にそれが叶ったのだとしたら、私だって、もう絶望する必要なんてない!」と、自分自身の魔女すらも消し去ったのです。
こうしてまどかは宇宙の法則そのものとなり、ほむらに赤いリボンを託して消えていきました。「わたしのことを忘れずにいてくれるかも」という最後の言葉を残して——。
時間軸によって異なる鹿目まどかの運命と死亡シーン

ほむらが繰り返してきた時間の中で、まどかは何度も死を迎えています。しかし、その死に方は時間軸ごとに大きく異なっていました。第10話で描かれた各時間軸のまどかの運命は、どれも視聴者の胸を締めつける悲劇的なものばかり。ここでは、ほむらが目撃してきたまどかの様々な「死」について、時系列で詳しく見ていきましょう。
脚本の虚淵玄氏によれば、ほむらが経験した時間軸の数は100に迫るとのこと。しかし作中で明確に描写されたのは数回分のみです。それでも、各時間軸で描かれる異なるまどかの結末は、物語の深さと残酷さを際立たせています。
第1の時間軸|ワルプルギスの夜との戦いで力尽きて死亡
最初の時間軸——ほむらが魔法少女になる前の世界では、まどかはすでに魔法少女として活躍していました。マミとともに魔女と戦う、明るく頼もしい先輩魔法少女。この頃のまどかは、弱気で内気なほむらを優しく励ましてくれる存在でした。
しかし、ワルプルギスの夜が襲来すると状況は一変します。マミは戦死し、ほむらは魔法少女ではないため戦力になりません。まどかは「魔法少女としての誇りを持って戦う」と告げ、た一人でワルプルギスの夜に立ち向かいました。
「だから魔法少女になってよかったって、本当そう思うんだ。さよならほむらちゃん、元気でね」——そう言い残してまどかは戦いに向かい、そして戻ってきませんでした。ワルプルギスの夜は倒されましたが、まどかは力尽き、物理的に死亡したのです。
ガレキの中で横たわるまどかの遺体を前に、絶望したほむら。この光景こそが、すべての時間遡行の始まりでした。
第2の時間軸|魔女化してほむらに討伐される絶望的な結末
ほむらが魔法少女となり、最初に遡行した時間軸では、さらに残酷な運命がまどかを待っていました。この時間軸でもワルプルギスの夜は倒されましたが、直後にまどかのソウルジェムが暴走し、まどかは魔女化してしまったのです。
魔法少女が魔女になるという真実を、この時間軸でほむらは初めて知りました。そして、魔女となったまどかを討伐するという、想像を絶する苦痛を経験することになります。最も救いたかった大切な友人を、自らの手で——。
この経験は、ほむらの性格を大きく変える転機となりました。爆弾を使った戦闘スタイルへの移行も、この時間軸での学びから生まれたものです。
第3・第4の時間軸|ループごとに変化する願いと結末
第3の時間軸では、魔法少女が魔女になる真実を仲間たちに伝えようとしたほむら。しかしマミは「ソウルジェムが魔女を生むなら、みんな死ぬしかないじゃない!」とご乱心状態になり、さやかのソウルジェムを破壊してしまいます。その後の惨劇を経て、生き残ったまどかとほむらは二人きりに。
「ほむらちゃん、キュゥべえに騙される前の馬鹿な私を、助けてあげてくれないかな」——まどかのこの頼みが、ほむらの戦いの原点となります。魔女になりたくないと願うまどかのソウルジェムを、涙ながらにほむらは撃ち抜きました。
第4の時間軸とそれ以降、ほむらは「もう誰にも頼らない」と決意し、一人で戦い続けるようになります。しかし何度やり直しても、まどかは契約してワルプルギスの夜を倒した後に魔女化するか、戦いで死亡するかの二択しかありませんでした。
本編の時間軸|概念化によって全ての時間軸から解放される
そして迎えた本編の時間軸——おそらく100回近いループの果てに、ついにまどかは第三の選択肢を見出します。それが「すべての魔女を消し去る」という究極の願いでした。
この時間軸のまどかには、これまでのループで蓄積された膨大な因果が集中していました。そのため、過去と未来のすべてに干渉できるという、神にも等しい力を得ることができたのです。
ワルプルギスの夜を一瞬で消し去り、あらゆる時代の魔女を救済していくまどか。その姿は、もはや人間ではありませんでした。そして、すべての魔女を引き受けたまどか自身も、一瞬だけ最悪の魔女と化します。しかし、自分で自分を救済することで、まどかは完全に概念へと昇華しました。
この結末により、まどかはすべての時間軸から解放されました。どの時間軸のまどかも、もう死ぬことはありません。なぜなら、時間と空間を超越した存在として、永遠に魔法少女たちを見守り続けるのですから。
劇場版「叛逆の物語」での鹿目まどかの状態

2013年に公開された劇場版「叛逆の物語」は、TV版最終話から続く正統続編として、まどかとほむらの物語に新たな展開をもたらしました。円環の理となったはずのまどかが、なぜか普通の魔法少女として登場する——この衝撃的な設定の裏には、インキュベーターの陰謀とほむらの絶望が隠されていたのです。
ここでは、叛逆の物語におけるまどかの三つの状態——結界世界のまどか、円環の理としてのまどか、そして悪魔ほむらによって引き裂かれたまどか——について詳しく解説していきます。
ほむらの結界世界で記憶を失った通常の魔法少女として登場
物語は、見滝原中学校でまどか、さやか、マミ、杏子、そしてほむらの5人が、人の悪夢が具現化した怪物「ナイトメア」と戦うシーンから始まります。三つ編みで眼鏡をかけた「メガほむ」が転校してきて、理想的な魔法少女ライフを送る——しかしこの世界には、明らかな違和感がありました。
実はこの世界は、魔女化寸前のほむらのソウルジェムが作り出した結界の中でした。インキュベーターがほむらを隔離し、円環の理を観測・制御しようと企んだ実験の影響で、ほむらの結界が「理想の世界」として構築されていたのです。
この結界内のまどかは、円環の理としての記憶を完全に失っていました。普通の中学生として、普通の魔法少女として、ただ日常を過ごしている——インキュベーターにとっては想定外でしたが、これはほむらの結界による記憶操作の影響だったのです。
まどかは自分が円環の理であることも、かつて世界を救ったことも、すべて忘れていました。ただ、心のどこかで感じる違和感だけが、彼女の中に残っていたのです。
円環の理の力と記憶をさやかとなぎさに預けて潜入していた
しかし真実は、もっと巧妙なものでした。まどかが記憶を失っていたのは、偶然でも結界の影響だけでもありません。円環の理としてのまどかは、あらかじめ自分の「記憶」と「力」を、同じ円環の理の一部である美樹さやかと百江なぎさに預けていたのです。
キュゥべえとインキュベーターの注意がまどかに向いている裏で、さやかとなぎさは円環の理として秘かに活動していました。魔法少女の力と魔女の力の両方を使える特殊な存在として、ほむらを救済するために動いていたのです。
さやかの「あたしって、ほんとバカ」という名セリフの再登場や、なぎさの正体がシャルロッテ(マミを殺した魔女)であったことなど、叛逆の物語では数々の驚きの真実が明らかになります。そしてすべては、円環の理としてのまどかの計画の一部でした。
インキュベーターの企みを阻止し、ほむらを救済する——その使命を果たすため、まどかは記憶のない状態で結界に潜入するという、危険な賭けに出ていたのです。
悪魔ほむらによって円環の理から引き剥がされ人間として固定される
物語のクライマックス、ついに記憶を取り戻したまどかは、円環の理としてほむらを救済しようとします。しかしほむらは、まどかが円環の理として永遠に孤独であり続けることを拒否しました。
「私は円環の理を壊すつもりはありません。私が欲しかったのは、その一部分だけ」——ほむらはまどかの人間としての記憶と感情だけを引き抜き、円環の理から引き裂いたのです。この行為により、ほむらは「魔女を超える存在」である悪魔へと変貌しました。
悪魔ほむらが作り出した新世界では、まどかは普通の人間として家族と一緒に暮らしています。円環の理としての記憶も力も失い、ただの中学生・鹿目まどかとして。しかし、時々感じる違和感——忘れてしまった大切な何かの記憶が、彼女の心の奥底に残っているのです。
円環の理そのものがどうなったのかは、劇場版では明確に描かれていません。しかし確実なのは、まどかという「人間」の部分が、ほむらによって現世に固定されたということです。果たしてこの選択は正しかったのか——その答えは、2026年公開予定の「ワルプルギスの廻天」で明らかになるでしょう。
2026年公開「ワルプルギスの廻天」で鹿目まどかはどうなる?

2026年2月、ついにファン待望の完全新作劇場版「ワルプルギスの廻天」が公開されます。2013年の「叛逆の物語」から実に12年以上の時を経て、まどかとほむらの物語が再び動き出すのです。特報映像や公開されたビジュアルからは、様々な謎と期待が浮かび上がってきます。
「世界は彼女を赦さない」——このキャッチコピーが示すものは何なのか。円環の理を奪った悪魔ほむらに、まどかと世界はどう向き合うのか。ここでは、公開されている情報をもとに、新作でのまどかの立場と物語の展開を予測していきます。
悪魔ほむらが作った新世界でのまどかの記憶と立場
「叛逆の物語」のラストで、ほむらは円環の理からまどかの人間としての記憶と感情を引き抜き、新たな世界を創造しました。この世界では、まどかは普通の中学生として家族と暮らしています。円環の理としての記憶も力も失い、ただの少女・鹿目まどかとして。
しかし、予告映像では魔法少女姿のまどかが確認されています。ということは、悪魔ほむらの世界でもまどかは魔法少女として戦っているのです。ほむらが作り出した「理想の世界」では、みんなが幸せに暮らせるはずでした。それなのに、なぜまどかは再び戦う運命を背負っているのでしょうか。
おそらく、悪魔ほむらの作った世界も完璧ではないのでしょう。魔獣や新たな脅威が存在し、魔法少女たちは戦い続けている。ただし、円環の理による救済システムは失われているため、魔法少女たちの末路がどうなるのかは不明です。
特報映像で確認できるまどかの魔法少女姿と戦闘シーン
公開された特報映像では、魔法少女姿のまどかが戦うシーンが映し出されています。TV版や叛逆の物語で見せた勇敢な姿は健在のようです。しかし、その表情には何か憂いや迷いのようなものも感じられます。
また、キービジュアルには二人のほむら——クールほむらとメガほむら——が向かい合う構図が描かれています。これは、ほむらの内面の葛藤を象徴しているのかもしれません。悪魔ほむらとなった今の自分と、かつてまどかに救われた弱かった頃の自分。その狭間で揺れ動くほむらの姿が描かれるのでしょう。
まどかもまた、失われた記憶の断片に苦しむのかもしれません。「忘れてしまった大切な何か」——その違和感が、物語を動かす鍵となる可能性があります。
円環の理の復活はあるのか?さやかとなぎさの動きから予測
特報映像では、さやかとなぎさの姿も確認されています。叛逆の物語で円環の理の一部として活動していた二人は、悪魔ほむらの世界でどのような立場にいるのでしょうか。
一つの可能性として、さやかとなぎさは円環の理としての記憶を保持しているかもしれません。彼女たちがまどかに真実を伝え、円環の理の復活を目指す——そんな展開も考えられます。
「世界は彼女を赦さない」というキャッチコピーは、おそらく悪魔ほむらに向けられた言葉でしょう。円環の理を奪い、世界の法則を書き換えたほむらに対して、世界そのものが反発する。その戦いの中で、まどかがどのような選択をするのか——それこそが、ワルプルギスの廻天の最大の見どころとなるはずです。
「世界は彼女を赦さない」キャッチコピーの意味と物語の結末考察
このキャッチコピーが示唆するのは、ほむらへの審判です。愛ゆえに世界を改変した悪魔ほむら。しかし、その行為は円環の理という救済システムを破壊し、魔法少女たちの希望を奪うものでもありました。
さやか、なぎさ、マミ、杏子——そしてまどか自身。彼女たちは悪魔ほむらと対峙することになるでしょう。しかしこれは、単純な善悪の戦いではありません。互いを想うがゆえにすれ違い、傷つけ合う——まどマギシリーズが一貫して描いてきたテーマが、ここでも貫かれるはずです。
最終的な結末は誰にもわかりません。円環の理が復活するのか、新たな救済の形が生まれるのか、それとも——。ただ一つ確かなのは、まどかとほむらの絆が、再び試練を迎えるということです。2026年2月の公開まで、期待は高まるばかりです。
鹿目まどかの死亡に関するよくある質問

まどかの「死亡」という衝撃的な結末について、多くのファンが様々な疑問を抱いています。ここでは、よくある質問とその答えをまとめました。
まどかは生き返ることはできないの?
結論から言えば、従来の意味での「生き返り」はありません。まどかは円環の理という概念そのものになっているため、物理的な肉体を持って現世に戻ることは不可能です。
ただし、「叛逆の物語」で描かれたように、悪魔ほむらが円環の理から人間としてのまどかを引き離すことには成功しました。しかしこれは「生き返った」というより、円環の理の一部を無理やり人間の形に固定したものです。完全な復活とは言えないでしょう。
ワルプルギスの廻天で、まどかの在り方が再び変化する可能性はあります。しかし、TV版最終話で示された「概念として永遠に魔法少女を見守る」という形こそが、まどかが選んだ究極の答えなのです。
なぜほむらだけがまどかの記憶を完全に覚えているの?
これはまどかが最後に起こした「本当の奇跡」によるものです。概念化する直前、まどかはほむらに赤いリボンを託しました。「わたしのことを忘れずにいてくれるかも」という言葉とともに。
ほむらの時間操作の能力と、まどかへの強い想いが共鳴して、記憶を保持する力が生まれたのです。実際、ほむらの弓には「記憶を操る力」が備わっています。これは、まどかとの絆が形となって現れたものなのです。
唯一まどかを覚えているという孤独を背負いながらも、ほむらはまどかが作った世界を守り続けることを選びました。その覚悟こそが、物語の核心にあります。
ワルプルギスの廻天を見る前に見るべき作品の順番は?
ワルプルギスの廻天を最大限楽しむための視聴順序は以下の通りです。
- TV版「魔法少女まどか☆マギカ」全12話
- 劇場版「叛逆の物語」
TV版で基本的な物語と世界観を理解し、叛逆の物語で悪魔ほむらが誕生するまでの経緯を把握することが必須です。総集編の「始まりの物語」「永遠の物語」でも構いませんが、TV版の方が細かい描写が丁寧です。
マギアレコードのまどかはTV版と同じ存在なの?
スマートフォンゲーム「マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝」は、TV版とは異なるパラレルワールドの物語です。そのため、マギレコのまどかとTV版のまどかは厳密には別の存在と考えるべきでしょう。
マギレコの世界では、まどかはまだ魔法少女になっておらず、普通の中学生として登場します。円環の理も存在しない、TV版とは異なる歴史を辿っている世界なのです。
ただし、キャラクターの本質的な性格や願いは共通しています。マギレコを楽しむことで、まどかというキャラクターへの理解は深まりますが、ワルプルギスの廻天の理解に必須というわけではありません。
円環の理に導かれた魔法少女はその後どうなるの?
円環の理に導かれた魔法少女は、消滅すると同時に円環の理の一部となります。これは死というよりも、より高次の存在への昇華と言えるでしょう。
導かれた魔法少女たちの魂は、まどかとともに永遠に存在し続けます。彼女たちは明確な意識を持たない状態ですが、完全に消えたわけではありません。円環の理という集合精神の一部として、他の魔法少女を救済する活動に参加しているのです。
「叛逆の物語」では、さやかとなぎさが円環の理の一部として、人格と力を保ったまま活動していました。これは特別な状況下での例外ですが、円環の理に導かれることが必ずしも「終わり」ではないことを示しています。
鹿目まどか死亡の真相まとめ

鹿目まどかは物理的に死亡したのではなく、「円環の理」という概念そのものへと昇華しました。これは、過去・現在・未来のすべての魔法少女を救うという究極の願いの代償として選んだ道でした。
ほむらの時間遡行によって膨大な因果が集中したまどかは、神にも等しい力を得ました。その力で宇宙の法則を書き換え、魔女が生まれる前に魔法少女を救済するシステムを構築したのです。人としての記憶と存在は失われましたが、魂と意思は永遠に——すべての魔法少女とともに存在し続けています。
「叛逆の物語」では、悪魔ほむらによって人間としてのまどかが現世に引き戻されました。しかし、円環の理としての記憶は失われたまま。そして2026年公開の「ワルプルギスの廻天」で、まどかとほむらの物語は新たな局面を迎えます。
まどかの「死亡」は終わりではなく、新たな形での永遠の始まりでした。その選択の重さと美しさこそが、魔法少女まどか☆マギカという作品を不朽の名作たらしめているのです。劇場版最新作で、二人の物語がどのような結末を迎えるのか——その答えを、私たちは劇場で目撃することになるでしょう。
ゼンシーア
