『ワンダーウーマン1984はひどい』と言われる7つの理由を徹底検証!

2017年の『ワンダーウーマン』は、DCEUの救世主として世界中の映画ファンを魅了した傑作だった。ガル・ガドット演じるダイアナの勇敢さと美しさ、第一次大戦を舞台にした重厚なドラマ、そして神話的スケールの壮大な物語は、多くの観客の心を震わせた。だからこそ、続編『ワンダーウーマン1984』への期待は天井知らずに高まっていた。

しかし、2020年12月の公開と共に飛び交ったのは「ひどい」「駄作」「前作の魅力が台無し」といった厳しい声だった。なぜ同じ監督・主演コンビでありながら、これほどまでに評価が分かれてしまったのか。151分の長尺に隠された問題点から、前作との決定的な違い、そして海外での客観的評価まで、映画ファンが感じた違和感の正体を徹底的に解明していく。

目次

ワンダーウーマン1984がひどいと言われる7つの決定的理由

引用:amazon

2017年の前作で大きな成功を収めた『ワンダーウーマン』の続編として、多くの映画ファンが心待ちにしていた『ワンダーウーマン1984』。しかし、公開されるや否や「ひどい」「駄作」「前作の魅力が台無し」といった厳しい評価が相次いだ。前作を愛したファンほど落胆が大きかったこの作品について、なぜこれほどまでに酷評されることになったのか、その具体的な理由を徹底的に分析していく。

アクションシーンの圧倒的な少なさと演出のダサさ

『ワンダーウーマン1984』最大の問題点として挙げられるのが、アクションシーンの質的劣化である。前作では戦場での迫力あるアクションや、ノーマンズランドでの神がかり的な戦闘シーンが観客を魅了した。しかし、本作では151分という長尺にも関わらず、記憶に残るアクションシーンは序盤のショッピングモールでの戦闘くらいしかない。

特に深刻なのは、ワンダーウーマンが「走る」「飛ぶ」といった基本動作の演出があまりにもぎこちないことだ。CGと実写の合成技術が進歩しているはずなのに、まるで人形を動かしているような不自然な動きが目立つ。ガル・ガドットのスタイルの良さが逆にバービー人形のような印象を与えてしまい、ヒーローとしての迫力や重量感が完全に失われている。

さらに、アクションシーンの構成そのものも単調で、「ピンチ」→「成長」→「勝利」という王道パターンの過程が欠如している。テーマ曲で無理やり盛り上げようとする演出は、逆に内容の薄さを際立たせる結果となった。

151分の長尺に対して薄すぎるメインストーリー

本作最大の構造的問題は、2時間31分という長大な上映時間に見合うだけの物語的密度が全く足りていないことである。メインストーリー自体は極めてシンプルで、「願いを叶える石が発見される→悪用される→世界が混乱→願いを取り下げて解決」という内容は、実際には90分程度で十分描ける内容だ。

にも関わらず、なぜこれほど長尺になってしまったのか。その答えは、ダイアナとバーバラのキャラクタードラマに異常なまでの時間を割いているからである。約1時間強をかけて2人の背景を描いているが、これがメインストーリーの進行を著しく阻害している。観客が世界の存亡をかけた本筋の展開を期待しているにも関わらず、いつまでも個人的なドラマが続くため、多くの視聴者が途中で集中力を失ってしまう構造になっている。

映画の基本的なペース配分を完全に無視した構成は、エンターテインメント作品としては致命的な欠陥と言わざるを得ない。

前作で完結したスティーブとの恋愛の蒸し返し

前作『ワンダーウーマン』は、スティーブ・トレバーとダイアナの美しい恋愛物語としても高く評価された。特に、スティーブが自己犠牲によって世界を救い、ダイアナが彼の死を受け入れて成長していく物語は、多くの観客の心を打った。その完璧な別れと成長のドラマがあったからこそ、前作は名作として記憶されている。

しかし、本作はその完結した物語を安易に掘り返してしまった。ドリームストーンの力でスティーブが復活するという設定は、前作の感動的な結末を根本から否定する行為である。「ダイアナが彼の死を乗り越えて成長した」という前作のテーマが、「やっぱり忘れられませんでした」という軽薄な展開によって台無しにされてしまった。

復活したスティーブとのロマンスも、前作ほどの化学反応や感動は生まれず、むしろ前作の美しい記憶を汚すような印象さえ与える。観客にとって、愛する作品の続編がその作品の価値を毀損するというのは、最も避けるべき事態だった。

神話的スケールから個人的欲望への矮小化

前作では、ダイアナが戦争の神アレスと戦うという神話的で壮大なスケールの物語が展開された。人類の戦争と平和という普遍的なテーマを扱い、ダイアナ自身も愛の神として覚醒するという成長ドラマが描かれていた。

一方、本作での敵は人間の個人的な欲望である。マックス・ロードの野心、バーバラの劣等感、そして世界中の人々のささやかな願い。これらは確かに現実的で身近な問題ではあるが、ワンダーウーマンという神話的存在が戦う相手としては、あまりにもスケールが小さすぎる。

神々の戦いから人間の内面の問題への転換は、確かに野心的な試みかもしれない。しかし、結果として物語全体が矮小化されてしまい、前作が持っていた壮大さや神話的な魅力が完全に失われてしまった。観客が期待していたのは、ワンダーウーマンならではの壮大なアドベンチャーであり、人間ドラマの延長線上にある小さな物語ではなかった。

CGと視覚効果のクオリティ低下

技術的な面でも、本作は前作から大幅に劣化している。特にCGによる飛行シーンや高速移動のシーンは、2020年の作品とは思えないほど安っぽい仕上がりになっている。前作では実用的な特撮とCGのバランスが良く、リアリティのあるアクションシーンが実現されていた。

しかし、本作では明らかにCGに頼りすぎており、しかもそのCGのクオリティが低い。ワンダーウーマンが空を飛ぶシーンは、まるで2000年代前半の映画を見ているような古臭さがある。黄金の鎧を身に着けたシーンも、せっかくの美しいデザインがCGの安っぽさによって台無しになっている。

現代の観客は優れたCGに慣れ親しんでいるため、このような技術的な劣化は非常に目につきやすく、作品全体の没入感を大きく損なう要因となった。

キャラクター設定の無理と魅力不足

本作で新たに登場するキャラクターたちも、設定に無理があり魅力に欠けている。特にヴィランとしてのマックス・ロードは、動機が薄弱で脅威度も不足している。彼の野心や息子への愛情は理解できるものの、世界を危機に陥れるほどの悪役としては説得力に欠ける。

バーバラ・ミネルヴァ(チーター)についても、地味な女性が美と力を手に入れて変貌していく過程は丁寧に描かれているものの、最終的にワンダーウーマンと対等に戦えるほどの存在になる理由が不明確だ。ドリームストーンの力という設定だけでは、彼女の急激な強化に説得力を持たせることができていない。

また、ダイアナ自身のキャラクター設定も問題がある。前作で確立されたワンダーウーマンとしての成長が本作では後退しており、スティーブへの依存や優柔不断な側面が強調されすぎている。強く美しいヒーローとしての魅力が大幅に削がれてしまった。

安易すぎる結末と「反省すればOK」な解決方法

本作の最も致命的な問題は、その結末の安易さである。世界を混乱に陥れた人々の欲望は、ワンダーウーマンの演説ひとつで簡単に解決されてしまう。「願いを取り下げれば平和になります」という極めて単純な解決方法は、複雑な人間心理や社会問題を扱った作品の結末としては、あまりにも表面的すぎる。

特に問題なのは、マックスやバーバラをはじめとする「悪役」たちが、反省の言葉を述べただけで許されてしまうことだ。彼らが引き起こした混乱や被害に対する責任の取り方は一切描かれず、「反省したからもういいです」という展開になっている。

現実的に考えれば、世界規模の混乱を引き起こした人物がそう簡単に許されるはずがない。また、一度欲望に取り憑かれた人々が、短時間の説得で全員が心を入れ替えるというのも非現実的すぎる。このような安易な解決方法は、作品に対する観客の信頼を大きく損なう結果となった。

前作ワンダーウーマンと比較して劣化した5つのポイント

2017年の『ワンダーウーマン』が傑作として評価される一方で、続編の『ワンダーウーマン1984』が酷評される最大の理由は、前作が持っていた魅力的な要素が軒並み劣化してしまったことにある。同じ監督、同じ主演でありながら、なぜこれほどまでに品質に差が生まれてしまったのか。前作と比較することで見えてくる、本作の根本的な問題点を詳しく分析していこう。

第一次大戦の緊迫感 vs 1980年代の軽薄さ

前作の舞台となった第一次世界大戦という設定は、作品全体に緊張感と重厚さをもたらしていた。戦争という極限状態の中で、ダイアナが人間の本質と向き合い、真のヒーローとして覚醒していく物語は、観客に深い感動を与えた。戦場という生死の境界線で展開されるドラマには、自然と重みと説得力が生まれていた。

対照的に、1984年という平和な時代設定は、作品全体を軽薄な印象に変えてしまった。確かに1980年代のノスタルジックな要素や華やかなファッションは視覚的に楽しいが、それらが物語の深刻さを削ぐ要因となってしまった。世界の危機という設定でありながら、どこか現実味に欠け、緊迫感を感じられない。

戦争という極限状況と平和な日常という環境の違いが、作品の持つドラマチックな重みに決定的な差を生み出している。

神話的ヒーロー像から普通のスーパーヒーローへの格下げ

前作では、ダイアナは神々の世界から人間界にやってきた神話的存在として描かれていた。アマゾン族の戦士であり、神々の血を引く特別な存在という設定が、彼女を他のスーパーヒーローとは一線を画すキャラクターにしていた。戦争の神アレスとの戦いも、神々同士の壮大な闘争として描かれ、観客に畏敬の念を抱かせた。

しかし本作では、そのような神話的な特別感が大幅に薄れてしまった。ダイアナはただのスーパーヒーローの一人として扱われ、神としての威厳や神秘性が失われている。人間の欲望という身近な問題と戦う設定も、彼女を「普通の」ヒーローレベルまで引き下げてしまった。

前作で確立されたワンダーウーマンの神話的な魅力が、続編で平凡なスーパーヒーローに格下げされてしまったことは、多くのファンにとって大きな失望となった。

戦場アクションの迫力vs現代アクションの物足りなさ

前作で最も印象的だったのは、ノーマンズランドでのアクションシーンである。戦場の泥濘の中を駆け抜け、銃弾を盾で弾きながら敵陣に突進していく姿は、まさにワンダーウーマンの真骨頂を見せつけた名シーンだった。実用的な特撮とCGの絶妙なバランス、そして戦場という設定が持つ自然な緊張感が、観客を興奮させた。

一方、本作のアクションシーンは、現代的な設定ゆえに制約が多く、迫力不足が否めない。ショッピングモールでの戦闘は悪くないものの、前作の戦場アクションと比較すると、どうしても小規模で物足りない印象を与える。また、CGに頼った飛行シーンの技術的な問題も相まって、アクション映画としての魅力が大幅に減退している。

戦争という極限状況でのアクションと、平和な現代でのアクションでは、根本的なスケール感と緊迫感に差があることが明確になった。

純愛ストーリーの美しさvs復活恋愛の違和感

前作のスティーブとダイアナの恋愛は、純粋で美しいラブストーリーとして多くの観客の心を捉えた。戦時下という特殊な状況で芽生えた愛情、そして自己犠牲による別れは、映画史に残る名場面として記憶されている。二人の関係性は自然で説得力があり、観客は心から応援することができた。

しかし本作での「復活した恋人との再会」という設定は、前作の美しい記憶を汚すような違和感を生み出してしまった。一度完結した恋愛を無理やり蒸し返す展開は、前作の感動を台無しにするだけでなく、ダイアナのキャラクター成長も後退させてしまった。

完璧だった恋愛ストーリーの続きを描こうとして失敗した結果、前作の価値まで損なってしまったのは、続編制作における典型的な失敗例と言える。

明確な敵対構造vs曖昧な対立関係

前作では、戦争の神アレスという明確で強大な敵が存在し、善悪の対立構造が分かりやすかった。アレスの目的や動機も明確で、観客にとって倒すべき敵として十分な説得力を持っていた。ダイアナがなぜ戦わなければならないのか、何のために戦っているのかが明確だった。

対して本作では、真の敵が誰なのかが最後まで曖昧である。マックスは悪役のように描かれるが、彼の動機は息子への愛情であり、純粋な悪とは言い切れない。バーバラも劣等感から変貌した存在で、同情の余地がある。人間の欲望が敵という設定も抽象的すぎて、戦う意義が不明確になってしまった。

明確な敵対関係の存在は、ヒーロー映画の基本的な要素である。その基盤が曖昧になったことで、作品全体の推進力と観客の感情移入が大幅に削がれる結果となった。

海外でも酷評されたワンダーウーマン1984の客観的データ

『ワンダーウーマン1984』への厳しい評価は、日本国内だけでなく世界規模で見られる現象である。主観的な感想だけでなく、客観的なデータからもその評価の低さは明確に示されている。前作との数値比較や国際的な評価データを通じて、本作がなぜ失敗作とみなされているのかを数字で検証してみよう。

前作から大幅ダウンした興行収入と評価スコア

最も分かりやすい指標である興行収入を見ると、前作との差は歴然としている。2017年の『ワンダーウーマン』は世界興行収入8億2,200万ドルを記録し、DCEUシリーズでも屈指のヒット作となった。一方、『ワンダーウーマン1984』は新型コロナウイルスの影響もあったとはいえ、世界興行収入1億6,600万ドルという結果に終わった。

評価サイトのスコアも軒並み低下している。Rotten Tomatoesでは、前作が批評家スコア93%、観客スコア83%という高評価だったのに対し、本作は批評家スコア59%、観客スコア73%と大幅に下落している。特に批評家からの評価低下は深刻で、30ポイント以上の落ち込みは、続編としては異例の数値である。

IMDbの評価でも前作の7.4点に対し、本作は5.4点と2ポイント近い大幅な下落を記録している。これらの数値は、世界中の映画ファンが本作に失望していることを如実に示している。

批評家と観客の評価が分かれた具体的な論点

興味深いのは、批評家と一般観客の評価にも微妙な差が見られることだ。Rotten Tomatoesの数値を見ると、批評家スコアが59%に対し、観客スコアは73%とやや高めになっている。この差は、作品に対する期待値や評価基準の違いを反映している。

批評家たちは映画の技術的側面や構成の問題点を厳しく指摘した。特に指摘されたのは以下の点である。

  • 過度に長い上映時間(151分)に見合わない内容の薄さ
  • アクションシーンの技術的クオリティの低下
  • 脚本の構造的問題と結末の安易さ

一方、一般観客の評価がやや高いのは、ガル・ガドットの魅力的な演技や1980年代のノスタルジックな演出に対する好意的な反応があったためと分析されている。しかし、それでも前作と比較すると明らかな評価低下は避けられなかった。

DCEUシリーズ内での位置づけと他作品との比較

DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)シリーズ全体の中での本作の位置づけを見ると、その評価の低さがより鮮明になる。シリーズ開始以降の主要作品の中で、本作は最下位クラスの評価となっている。

『アクアマン』(2018年)が批評家スコア65%、観客スコア84%、『シャザム!』(2019年)が批評家スコア90%、観客スコア82%という好評価を記録している中で、本作の数値は明らかに見劣りしている。

特に注目すべきは、同じパティ・ジェンキンス監督による前作との評価差である。同一の監督・主演コンビでありながら、これほどまでに評価が分かれることは珍しく、作品の内容的問題が評価低下の主因であることを示している。

海外の映画批評サイトでも、本作は「期待を裏切った続編」「前作の魅力を理解していない作品」として厳しく批判されており、世界共通の失望作として認識されているのが現状である。

それでも評価できるワンダーウーマン1984の魅力的要素

これまで『ワンダーウーマン1984』の問題点を詳しく分析してきたが、公平な評価のためには本作の優れた点についても言及する必要がある。確かに全体的な評価は前作を下回るものの、映画ファンとして評価すべき魅力的な要素も確実に存在している。批判一辺倒ではなく、本作が持つポジティブな側面にも目を向けてみよう。

人命救助を重視したヒーロー描写の継続

本作で最も評価できる点は、ワンダーウーマンというヒーローの本質的な価値観が一貫して描かれていることである。近年のスーパーヒーロー映画では、派手な戦闘シーンに重点が置かれがちで、一般市民の救助という基本的なヒーローの役割が軽視される傾向がある。

しかし本作では、ショッピングモールでの強盗事件やその他のシーンにおいて、ダイアナが常に「人命を救う」ことを最優先に行動している姿が丁寧に描かれている。特に子供たちとの交流シーンは、ワンダーウーマンの母性的な側面と優しさを効果的に表現しており、彼女がただの戦闘マシンではなく、愛と慈悲に満ちたヒーローであることを再確認させてくれる。

この「人命救助ファースト」の姿勢は、DCEUシリーズの他作品と比較しても際立っており、ワンダーウーマンというキャラクターの独自性と魅力を支える重要な要素となっている。

1980年代オマージュの詳細なこだわり

パティ・ジェンキンス監督による1980年代への愛情溢れるオマージュは、本作の大きな魅力の一つである。単なる表面的なノスタルジーではなく、当時の文化や価値観を深く理解した上での演出が随所に見られる。

ファッションの面では、ダイアナがスティーブに選んでもらう80年代風の服装や、バーバラの変身前後のスタイルの変化など、細部まで時代考証が行き届いている。また、映画のオープニングクレジットやカラーパレットも80年代映画の雰囲気を見事に再現している。

音楽面でも、80年代のポップミュージックの要素を取り入れたスコアが作品全体に華やかさを与えている。特に、ワンダーウーマンのテーマ曲が80年代風にアレンジされたバージョンは、新鮮さと懐かしさを同時に提供する優れた楽曲となっている。

このような徹底した時代へのオマージュは、80年代カルチャーを愛する観客には間違いなく刺さる要素である。

ガル・ガドットの美しさと存在感

批判の多い本作においても、ガル・ガドットの魅力的な演技と圧倒的な存在感は揺るぎない評価ポイントである。前作に引き続き、彼女はワンダーウーマンというキャラクターに完璧にフィットしており、美しさと強さを兼ね備えたヒーローとして説得力のある演技を見せている。

特に注目すべきは、コメディシーンでの自然な演技力である。復活したスティーブとの日常的な会話シーンや、現代社会に対する微妙な困惑を表現する場面などで、ガドットは絶妙なコミカルさを発揮している。これまでのワンダーウーマンが持っていなかった親しみやすさを加えることで、キャラクターにより深みを与えている。

また、アクションシーンでの身体能力と表現力も健在である。CGの問題は指摘されているものの、ガドット自身の身体的な魅力とアクション演技のスキルは、作品の視覚的魅力を支える重要な要素となっている。

女性監督ならではの視点と演出

パティ・ジェンキンス監督による女性的な視点での演出は、本作の独特な魅力を生み出している。特にバーバラの変身ストーリーは、男性監督では描けない細やかな心理描写と共感性を持っている。

女性が社会で直面する劣等感や自信の欠如、そして美と力を手に入れることへの複雑な感情などは、女性監督だからこそ描けるリアルなテーマである。バーバラのキャラクター造形には、多くの女性観客が自分自身を投影できる要素が含まれている。

また、ダイアナとスティーブの関係性についても、従来の男性主導的な恋愛関係とは異なる対等性が描かれている。スティーブが現代社会に戸惑う姿を通じて、女性の社会進出や地位向上といった現代的なテーマも織り込まれており、社会派的な視点も感じられる。

これらの要素は、単なるアクション映画を超えた深みを作品に与えており、女性監督による大作スーパーヒーロー映画という貴重な試みとして、映画史的な価値も持っている。ジェンキンス監督の野心的な挑戦は、結果的に完全な成功とは言えないものの、その試み自体は高く評価されるべきものである。

ワンダーウーマン1984の制作背景と意図された方向性

『ワンダーウーマン1984』の問題点を理解するためには、この作品がどのような制作背景と意図の下で作られたのかを知ることが重要である。パティ・ジェンキンス監督やワーナー・ブラザースの戦略的判断を分析することで、なぜこのような作品になったのか、そして結果的になぜ失敗に終わったのかが見えてくる。

パティ・ジェンキンス監督が目指した80年代映画的アプローチ

パティ・ジェンキンス監督が本作で最も重視したのは、1980年代の映画に対するオマージュとリスペクトだった。監督自身のインタビューによると、彼女は80年代のファンタジー映画やアドベンチャー映画の持つ「明るさ」と「希望」を現代に蘇らせたいと考えていた。

具体的には、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズや『スーパーマン』シリーズ(クリストファー・リーヴ版)などの80年代映画が持っていた、家族で楽しめる娯楽作品としての要素を重視した。これが、前作の重厚な戦争映画的アプローチから、軽やかでポップな作風への転換につながった。

ジェンキンス監督は「前作とは全く異なる映画を作りたかった」と明言しており、意図的に前作のトーンから離れることを選択した。この判断が、結果的にファンの期待との乖離を生み出すことになったのは皮肉な結果と言える。

また、1980年代という時代設定についても、監督は「現代社会の原点」として捉えていた。当時台頭し始めた物質主義や個人主義といった価値観が、現在の社会問題の根源にあるという分析から、この時代を舞台にすることで現代への警鐘を鳴らそうとした意図があった。

DCEUの方向転換と前作からの意図的な路線変更

本作の制作背景には、DCエクステンデッド・ユニバース全体の戦略的方向転換も大きく影響している。2016年の『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』や2017年の『ジャスティス・リーグ』の商業的失敗を受けて、ワーナー・ブラザースはより明るく親しみやすい作品作りへとシフトチェンジしていた。

この流れの中で、『ワンダーウーマン1984』も「家族向けの明るいスーパーヒーロー映画」として位置づけられることになった。前作の成功要因だった重厚なドラマ性よりも、より広い観客層にアピールできる娯楽性を重視する判断が下された。

さらに、マーベル・シネマティック・ユニバースとの差別化も重要な要素だった。マーベル作品が持つユーモアと軽快さに対抗するため、DCEUも同様の路線を模索していた時期であり、本作もその実験的な試みの一つとして制作された。

しかし、この戦略的判断が裏目に出る結果となった。ワンダーウーマンというキャラクターの本質的な魅力は、むしろ前作のような重厚で神話的なアプローチにあったため、路線変更が逆効果となってしまった。

制作陣は良かれと思って行った変更が、結果的に作品の核となる魅力を損なってしまったのである。この失敗は、続編制作における「前作の成功要因を正確に分析することの重要性」を示す教訓的な事例となっている。

ジェンキンス監督の野心的な試みと、スタジオ側の商業的な思惑が合致した結果生まれた本作だったが、両者の意図が必ずしも観客の期待と一致していなかったことが、最終的な失敗の要因となった。

ワンダーウーマン1984に関するよくある質問

『ワンダーウーマン1984』について、映画ファンから寄せられることの多い疑問や質問について、詳しく回答していこう。作品の設定や今後の展開について、正確な情報と合理的な予測を提供することで、ファンの疑問解決に役立てたい。

なぜ前作から66年も時代が飛んでいるの?

前作が第一次世界大戦中の1918年、本作が1984年という設定になった理由は、主に以下の要因による。まず、パティ・ジェンキンス監督が1980年代の映画文化に対して強いリスペクトを持っていたことが大きな理由である。監督は80年代のファンタジー映画やアドベンチャー映画の持つ明るさと希望に満ちた世界観を現代に蘇らせたいと考えていた。

また、1984年という年代は、現代社会の価値観が形成された重要な転換点として監督に認識されていた。物質主義の台頭、メディアの影響力拡大、個人の欲望の肥大化など、現在の社会問題の多くがこの時代に根ざしているという分析から、この時代設定が選ばれた。

66年という長いブランクについては、ダイアナが不老不死の存在であることと、人間社会への関わり方を変えたという設定で説明されている。第一次大戦の悲劇を経験した彼女が、長い間人間との深い関わりを避けていたという背景設定は、キャラクターの成長と変化を描く上で必要な期間とされた。

さらに、1980年代という時代は、現在とは異なる技術レベルでありながら、現代的な価値観が芽生え始めた時期として、物語上のバランスが取りやすいという制作上の利点もあった。

ワンダーウーマン3は制作される予定はある?

『ワンダーウーマン3』の制作については、本作の評価や興行成績を受けて、当初の予定から大幅な変更が生じている。元々は2022年頃の公開を目指して企画が進行していたが、本作の批評的・商業的な失敗により、プロジェクトは事実上の凍結状態となっている。

2023年には、ワーナー・ブラザースの新体制下で、DCエクステンデッド・ユニバース全体の大幅な再構築が発表された。この新しい「DCユニバース」計画では、従来のキャスティングや設定を一新することが決定されており、ガル・ガドット主演による『ワンダーウーマン3』の制作可能性は極めて低くなっている。

ただし、ワンダーウーマンというキャラクター自体の人気は依然として高いため、新しいキャストによるリブート版や、別の時代設定での新シリーズの可能性は残されている。現在の情報では、具体的な制作計画は発表されていないが、DCコミックスの代表的キャラクターとして、何らかの形で映画化される可能性は高いと考えられる。

現在の状況では、ファンとしては新しいDCユニバースでのワンダーウーマンの扱いに注目し、続報を待つしかない状況である。

パティ・ジェンキンス監督は続投する?

パティ・ジェンキンス監督の続投については、現時点では困難な状況となっている。本作の評価低下により、ワーナー・ブラザースとの関係は悪化し、2022年には監督が予定されていた『ローグ・スコードロン』(スター・ウォーズシリーズ)の監督からも降板する事態となった。

ジェンキンス監督自身は、本作の批判を受けても自身の演出方針に確信を持っており、「前作とは異なる映画を作りたかった」という意図的な路線変更だったと主張している。しかし、この芸術的野心と商業的成功の乖離が、スタジオ側との方向性の違いを生み出した。

新しいDCユニバースでは、ジェームズ・ガン(『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』監督)とピーター・サフランが共同CEOに就任し、全く新しい体制でのコンテンツ制作が始まっている。この新体制では、過去のDCEU作品とは距離を置く方針が明確にされており、ジェンキンス監督の続投可能性は極めて低い。

ただし、ジェンキンス監督は優秀な映画監督であることは間違いなく、DC以外のプロジェクトでの活躍が期待されている。実際に、複数のオリジナル作品の企画が進行中と報じられており、今後の作品で再評価される可能性もある。

新しいDCユニバースでワンダーウーマンはどうなる?

2023年に発表された新DCユニバース計画では、ワンダーウーマンについても新しいアプローチが検討されている。ジェームズ・ガンとピーター・サフランによる新体制では、従来のDCEUとは完全に独立した新しいユニバースの構築が進められており、キャスティングから設定まで全面的に刷新される予定である。

現在発表されている情報では、ワンダーウーマンを含むジャスティス・リーグのメンバーは、新しい俳優によって演じられることが予想されている。ガル・ガドットの続投は困難とされており、より若い世代の女優による新しいワンダーウーマン像が模索されている。

設定面では、より原作コミックに忠実なアプローチが取られる可能性が高い。これまでのDCEU版では現代的にアレンジされていた要素も、古典的な神話性を重視した設定に戻される可能性がある。また、他のDCキャラクターとの関係性も、長年のコミック読者により親しみやすい形で描かれることが期待されている。

ただし、具体的な制作スケジュールや詳細な設定については、まだ発表されていない部分が多い。新DCユニバースの第一弾作品群の成功を見た上で、ワンダーウーマンの映画化時期が決定される見込みである。

ワンダーウーマン1984はひどいと言われる理由まとめ

『ワンダーウーマン1984』が「ひどい」と評される理由は、前作『ワンダーウーマン』が持っていた魅力的な要素の大部分が失われてしまったことに集約される。151分という長尺に見合わない薄い物語、アクションシーンの質的劣化、前作で完結した恋愛の安易な蒸し返し、そして神話的スケールから個人的欲望への矮小化が主な問題点として挙げられる。

前作との比較では、第一次大戦の緊迫感が1980年代の軽薄さに変わり、神話的ヒーロー像が普通のスーパーヒーローに格下げされ、明確な敵対構造が曖昧な対立関係に変わってしまった。客観的データでも、前作から大幅に下落した興行収入と評価スコアが、世界中のファンの失望を如実に示している。

ただし、人命救助を重視したヒーロー描写や1980年代への愛情溢れるオマージュ、ガル・ガドットの魅力的な演技など、評価できる要素も存在する。パティ・ジェンキンス監督の意図的な路線変更は野心的な試みだったが、結果的にファンの期待との乖離を生み出してしまった。

本作の失敗は、続編制作における「前作の成功要因を正確に分析することの重要性」を示す教訓的事例となった。新しいDCユニバースでは、この経験を活かしたより良いワンダーウーマン像が期待される。

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