青のミブロ「にお」実在のモデルは誰?史実キャラとの5つの違いを徹底解説

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2024年10月から放送され大きな話題となったアニメ『青のミブロ』。白髪と青い瞳を持つ主人公・ちりぬにおが、土方歳三や沖田総司といった実在の新選組隊士たちと共に激動の幕末を駆け抜ける姿は、多くのファンを魅了しています。しかし、史実に詳しいファンほど気になるのが「におは実在する人物なのか?」という疑問です。新選組の記録を調べても見つからないこの少年は、いったい何者なのでしょうか。芹沢鴨がモデルという噂の真相は?そして2025年12月放送予定の第2期「芹沢暗殺編」で、におはどのような運命を辿るのか。本記事では、におの正体から作者の創作意図まで、徹底的に解説します。

青のミブロの「にお」に実在のモデルは存在するのか

『青のミブロ』の主人公「ちりぬにお」について、多くのファンが「この少年には実在のモデルがいるのではないか」と疑問に思っています。土方歳三や近藤勇といった実在の新選組隊士が多数登場する作品だからこそ、におの正体が気になるのは当然でしょう。白髪と青い瞳という特徴的な外見、そして幕末という歴史的舞台で繰り広げられる彼の物語は、まるで史実に存在した人物のようなリアリティを持っています。しかし、結論から申し上げると、におは完全なるオリジナルキャラクターです。では、なぜそう断言できるのか、その根拠を詳しく見ていきましょう。

におが完全オリジナルキャラクターである3つの根拠

ちりぬにおが史実に存在しない創作キャラクターである根拠は、以下の3つの明確な証拠から確認できます。

第一に、新選組の史料や記録を徹底的に調査しても「ちりぬにお」という名前の隊士は一切存在しません。壬生浪士組から新選組に至るまでの隊士名簿、当時の記録、生き残った隊士たちの証言など、あらゆる一次史料を精査しても、におに該当する人物は見つからないのです。

第二に、作品内での扱い方が実在の人物とは明確に異なります。『青のミブロ』では実在の歴史上の人物は史実に基づいた描写がなされていますが、におの行動や物語での役割は完全に作者の創作によるものです。物語の視点役として機能し、読者が新選組の世界を体験するための「案内人」としての性格が強いのです。

第三に、におの設定そのものが創作物語に最適化されています。孤児という境遇、団子屋での生活、偶然の出会いからの入隊といった設定は、読者が感情移入しやすいように計算されたキャラクター設計です。これは史実を再現するのではなく、物語として最高のエンターテインメントを提供するための作者の意図が込められています。

ひらがな表記が示す創作キャラクターの証明

におがオリジナルキャラクターであることを示す最も明確な証拠は、その名前の表記方法にあります。作品を読むと気づくのですが、『青のミブロ』では実在の歴史上の人物はすべて漢字で表記されています。土方歳三、沖田総司、近藤勇、芹沢鴨、斎藤一など、新選組の有名隊士たちの名前はすべて漢字です。

一方で、におの名前は「ちりぬにお」と、苗字も名前も完全にひらがなで表現されています。この表記の違いは偶然ではありません。作者の安田剛士氏が意図的に、読者に対して「このキャラクターは創作である」というメッセージを伝えているのです。ひらがな表記により、におという存在に柔らかさや親しみやすさが付与され、同時に彼の出自の謎や特別な存在感が表現されています。

興味深いことに、におの名前は古典文学の「いろは歌」の一節「ちりぬるを」に由来する可能性が高いと考察されています。これは儚さや運命といった日本的な美意識を象徴しており、幕末という激動の時代を生きる少年の運命を暗示しているとも読み取れます。このような文学的な仕掛けも、におが綿密に設計された創作キャラクターである証拠と言えるでしょう。

史実の新選組隊士には存在しない特徴

におの外見的特徴も、史実の新選組隊士には見られない独特なものです。彼の最大の特徴である白髪のストレートヘアと青い瞳は、幕末の日本人としては極めて異例です。当時の日本は鎖国体制が終わったばかりで、外国人との混血も極めて稀でした。このような特徴を持つ人物が新選組にいたという記録は一切存在しません。

また、におの立場も特異です。彼は武士の身分ではなく、団子屋で働いていた一般の少年でした。新選組は確かに「浪士」の集団であり、必ずしも高い身分の者ばかりではありませんでしたが、におのような完全な平民出身で、しかも13歳という若さで入隊したという記録は残っていません。

戦闘能力の面でも、におは一般人レベルの実力として描かれています。特別な剣の才能があるわけでもなく、むしろ観察力や気配りといった非戦闘的な能力で貢献するキャラクターです。史実の新選組隊士たちは基本的に剣術に秀でた者たちでしたから、この点でもにおは実在の隊士とは大きく異なります。これらの特徴すべてが、におが史実ではなく物語のために生み出されたキャラクターであることを物語っています。

青のミブロ「にお」は実在の芹沢鴨がモデル説を徹底検証

インターネット上では、ちりぬにおのモデルが「芹沢鴨ではないか」という説が一部で囁かれています。確かに、両者とも『青のミブロ』という同じ物語の中で重要な役割を果たしており、何らかの関連性があるのではと考えるファンがいるのも理解できます。しかし、この説は本当に妥当なのでしょうか。作品内での描写や設定を詳しく検証すると、におと芹沢鴨は全く異なる存在であることが明確になります。ここでは、なぜこのような説が生まれたのか、そして実際にはどうなのかを徹底的に検証していきます。

芹沢鴨モデル説が広まった3つの背景

におが芹沢鴨をモデルにしているという説が一部で語られる背景には、いくつかの理由が考えられます。

まず第一に、作品内でのにおと芹沢の関係性が挙げられます。物語の中で、におは芹沢鴨の行動の真意を見抜く重要なシーンがあります。芹沢が部下の殿内を粛清した際、表面上は酔った勢いでの殺人に見えましたが、におだけが「仲間を守るために裏切り者を処分した」という芹沢の真の意図を理解しました。このエピソードから、2人の間に特別な関係性があると感じた読者がいたのかもしれません。

第二に、両者とも壬生浪士組において特別な立ち位置にあるという点です。芹沢は組織の筆頭局長として、におは主人公という物語上の中心人物として、それぞれ重要な役割を担っています。この「特別さ」が、何らかのつながりを想起させた可能性があります。

第三に、作品が史実とフィクションを融合させているという特性そのものが、読者の推測を生みやすい環境を作っています。実在の人物が多数登場する中で、におというオリジナルキャラクターがいることで、「この人物は実在の誰かがモデルなのでは」という疑問が自然に湧いてくるのです。しかし、これらはあくまで推測の域を出ず、実際の設定とは大きく異なります。

性格と価値観の決定的な相違点

におと芹沢鴨の性格を比較すると、両者が全く異なる人物であることが一目瞭然です。におは心優しく、正義感が強く、素直で前向きな性格の持ち主として描かれています。彼は弱い者が犠牲になる世界を変えたいという純粋な願いを持ち、その思いが壬生浪士組に入る動機となりました。観察力に優れ、人の心の機微を理解する繊細さも持ち合わせています。

一方、芹沢鴨は破天荒で豪快、そして強引な性格です。リーゼントヘアのような天然パーマの大男として描かれ、酒好きで酒癖も悪く、部下を恐怖で支配する側面もあります。土方歳三からは「武士そのもの」と評され、自分の信念のためなら手段を選ばない強烈な個性の持ち主です。仲間を守るために汚れ役を引き受ける義理堅さはありますが、その方法はあまりにも強引で、周囲を困惑させることも少なくありません。

価値観においても、2人は対照的です。におは「優しさ」と「正義」を軸に行動し、できるだけ多くの人を救いたいと願っています。対して芹沢は「強さ」と「覚悟」を重視し、組織のためなら犠牲もやむを得ないという現実主義的な思考を持っています。この根本的な価値観の違いは、2人が全く別の人物像として設計されていることの証明と言えるでしょう。

戦闘能力の差から見る別人である証拠

におと芹沢鴨を比較する上で最も明確な違いは、その戦闘能力です。芹沢鴨は壬生浪士組の中でも随一の剣の使い手として描かれており、酔っていても敵を容易に返り討ちにできるほどの実力者です。彼の剣術は圧倒的で、正面から戦って勝てる者はほとんどいないとされています。この圧倒的な強さこそが、彼が筆頭局長としての地位を確立し、個性的な隊士たちをまとめることができた理由です。

一方、におの戦闘能力は一般人レベルです。彼は武士の家系ではなく、剣術の訓練も受けていない平民出身の少年です。物語の中で、におは戦闘シーンにおいて特別な活躍をするわけではありません。むしろ、彼の強みは剣の腕ではなく、鋭い観察力や洞察力、そして人を思いやる優しさにあります。におは戦う力ではなく、人の心を理解し、状況を的確に判断する能力で壬生浪士組に貢献しているのです。

このような戦闘能力の圧倒的な差は、2人が全く異なるキャラクターとして設計されていることを明確に示しています。もしにおが芹沢をモデルにしているのであれば、戦闘能力においてもある程度の共通点があるはずですが、実際には正反対です。におは「戦わずして理解する者」として、芹沢は「圧倒的な力で道を切り開く者」として、それぞれ独自の役割を担っています。以上の点から、におが芹沢鴨をモデルにしているという説は、明確に否定できると言えるでしょう。

「三匹の狼」における「にお」の役割と存在意義

『青のミブロ』の物語は、老齢となった元新選組隊士・永倉新八が「今まで誰にも話していない、決して歴史には残らないであろう三匹の狼」の物語を語ることから始まります。この「三匹の狼」とは、ちりぬにお、田中太郎、斎藤はじめの3人の少年たちを指します。彼らは皆、同じ13歳という年齢で壬生浪士組に所属していますが、それぞれ全く異なる背景と性格を持っています。この3人の対比構造こそが、『青のミブロ』という作品の核心であり、におという主人公の魅力を最大限に引き出す装置として機能しているのです。では、なぜ作者は3人の少年を設定したのか、そしてにおはこのグループの中でどのような役割を果たしているのでしょうか。

にお・太郎・はじめの対比構造が描く成長物語

三匹の狼の3人は、まるで鏡のように互いを映し出し、それぞれの特徴を際立たせる関係性にあります。ちりぬにおは心優しく正義感が強く、常に前向きな姿勢を崩さない少年です。貧しい境遇にありながらも、団子屋の婆ちゃんと妹に囲まれて育ち、人の優しさを知っています。彼の行動原理は「弱い者が犠牲になる世界を変えたい」という純粋な願いです。

対して田中太郎は、生まれた時から誰にも必要とされず、3歳から奉公先を転々とし、最終的には名前さえ持たない物乞いになっていました。芹沢鴨に拾われるまでの彼の人生は、におとは真逆の過酷さです。満足に食事も与えられず、暴力を受け、人として扱われなかった経験が、彼を卑屈で臆病な性格にしました。しかし、芹沢鴨との出会い、そしてにおとの友情が、彼を少しずつ変えていきます。

斎藤はじめは、9歳の時に両親を強盗に殺されましたが、斎藤一に助けられ剣を学びました。彼は「強さ」への純粋な執着を持ち、感情を表に出さない冷静な少年です。近藤勇に拾われ、圧倒的な剣の才能で大人相手でも負けない戦闘力を誇ります。

この3人の対比は、「同じ境遇でも人はこれほど違う道を歩む」というテーマを体現しています。におの明るさ、太郎の暗さ、はじめのストイックさ。それぞれが異なる「生き方の選択」を示しながら、同じ壬生浪士組という場所で絆を深めていく過程が、物語の大きな魅力となっています。

田中太郎との対照的な生き方と選択

におと田中太郎の関係性は、『青のミブロ』の中でも特に重要です。2人は非常に似た境遇でありながら、全く異なる性格を持っています。両者とも孤児であり、貧しく過酷な幼少期を過ごしました。しかし、におは婆ちゃんという温かい存在に出会い、人の優しさを知ることができました。一方の太郎は、誰からも愛されず、虐待と差別の中で生きてきました。

この違いが、2人の性格を決定づけています。におは「世界は変えられる」と信じていますが、太郎は「自分はここでしか生きられない」と諦めています。におは他者を信頼していますが、太郎は裏切られることを恐れています。しかし、この対照的な2人が出会い、友情を育むことで、お互いに影響を与え合います。

特に重要なのは、におが太郎の本質を見抜くシーンです。芹沢鴨が部下を粛清した際、太郎は遺体の処理を任されますが、におはその場面で太郎の心の痛みと、同時に芹沢への複雑な感情を理解します。におの鋭い観察力と共感力が、太郎の心を少しずつ開いていくのです。

太郎にとって、におは「自分もこうなれたかもしれない」という可能性の象徴です。逆にとって、太郎は「環境次第で自分もこうなっていたかもしれない」という現実の象徴です。この相互理解が、2人の友情を深め、太郎を徐々に変えていきます。芹沢鴨の死後、太郎が「芹沢太郎」と名乗り、前を向いて生きる決意をする過程には、におの存在が大きく影響しているのです。

斎藤はじめとの絆が物語に与える影響

斎藤はじめとにおの関係性は、また別の意味で重要です。はじめは「強さ」に純粋に憧れる少年で、感情を表に出さず、剣の修行に没頭しています。彼の居合の腕前は大人顔負けで、戦闘においては三匹の狼の中で圧倒的な実力を持っています。

一方のにおは、戦闘能力では一般人レベルです。剣の才能があるわけでもなく、むしろ観察力や洞察力で貢献するタイプです。この能力の差は、2人が全く異なる価値観を持つことを意味しています。はじめにとっての「強さ」は剣の腕ですが、におにとっての「強さ」は心の強さです。

しかし、物語が進むにつれて、はじめはにおから影響を受けていきます。におの優しさや、人を理解しようとする姿勢、そして困難な状況でも決して諦めない精神力が、はじめに新しい「強さの形」を示すのです。はじめは次第に、ただ剣が強いだけではない、人としての強さの重要性を学んでいきます。

また、におにとって、はじめは頼れる仲間であり、自分にはない能力を持つ存在です。はじめの戦闘能力が、におの命を何度も救います。この相互補完の関係が、2人の絆を強固なものにしています。

三匹の狼というグループは、互いに足りないものを補い合い、影響を与え合うことで成長していく関係性です。におはその中心に位置し、太郎には希望を、はじめには優しさを与える存在として機能しています。逆に、太郎からは現実を、はじめからは強さを学び、におも成長していきます。この三者三様の成長物語が、『青のミブロ』の最大の魅力の一つなのです。

作者が実在しないオリジナルキャラ「にお」を創造した理由

『DAYS』で大ヒットを飛ばした安田剛士氏が、次に選んだ題材は幕末の新選組でした。新選組を扱った作品は数多く存在し、土方歳三や沖田総司といった実在の人物たちの物語は、すでに様々な角度から語り尽くされてきました。そんな中で、安田氏があえて実在しないオリジナルキャラクター「ちりぬにお」を主人公に据えた理由とは何だったのでしょうか。この選択は、単なる創作上の工夫ではなく、物語の本質に関わる重要な戦略でした。ここでは、作者がにおという存在を生み出した意図と、それが作品にもたらした効果について深く掘り下げていきます。

史実に縛られない自由な物語展開を実現

新選組を題材にした作品を描く上で、作者が直面する最大の課題は「史実との兼ね合い」です。土方歳三や近藤勇、沖田総司といった実在の人物を主人公にする場合、彼らの運命はすでに決まっています。読者は、土方がどのように生き、最期はどうなるのかを知っています。芹沢鴨がいつ暗殺されるのかも、新選組がどのような道を辿るのかも、全て歴史が答えを出しているのです。

この「結末が見えている」という制約は、物語の緊張感を削ぎ、読者に「先が読める」という感覚を与えてしまいます。もちろん、史実に基づいたキャラクターの心理描写や、歴史の隙間を埋める創作によって素晴らしい作品を生み出すことは可能です。しかし、安田氏が目指したのは、より自由で予測不能な物語でした。

ここで、におというオリジナルキャラクターを主人公に据えることが、革命的な解決策となりました。におの運命は作者が自由に決められます。彼が生き残るのか、死ぬのか、どのような成長を遂げるのか、全てが未知数です。この「先が見えない」という要素が、読者を物語に引き込む大きな魅力となっているのです。

さらに、におは史実の隙間に存在する人物として設定されています。永倉新八の回想という形式をとることで、「歴史には残らなかった少年たちの物語」というコンセプトが明確になります。史実の大きな流れは変えずに、その間に挟まるオリジナルのドラマを自由に展開できる。この構造が、『青のミブロ』の物語に無限の可能性を与えているのです。

読者が感情移入しやすい主人公の設計意図

もう一つの重要な理由は、読者が感情移入しやすいキャラクターを作るという意図です。土方歳三や沖田総司は、確かに魅力的な歴史上の人物ですが、彼らはすでに完成された「英雄」のイメージがあります。剣の達人であり、カリスマ性を持ち、歴史に名を残した偉大な人物たちです。これらの人物に読者が感情移入するのは、ある意味でハードルが高いのです。

一方、におは13歳の普通の少年です。武士の家系でもなく、剣の才能があるわけでもない。団子屋で働いていた平民の孤児で、特別な能力を持っているわけではありません。彼の強みは、優しさや観察力、そして「世界を変えたい」という純粋な願いだけです。

この「普通さ」こそが、におの最大の魅力なのです。読者は、におに自分を重ねることができます。特別な才能がなくても、厳しい環境に置かれても、自分の信念を持って生きていこうとするにおの姿勢に、多くの読者が共感します。「自分もにおのようになれるかもしれない」という希望を抱かせる存在として、におは設計されているのです。

また、におの成長過程を描くことで、読者も一緒に成長していく感覚を味わえます。最初は無力で未熟だった少年が、壬生浪士組での経験を通じて、少しずつ強くなっていく。この成長物語は、実在の完成された英雄たちでは描きにくいものです。におだからこそ、真の意味での「青春」や「成長」を描くことができるのです。

新選組を新しい視点から描く試み

『青のミブロ』のタイトルが示すように、この作品のテーマは「青」、つまり「青春」です。安田氏が描きたかったのは、英雄譚としての新選組ではなく、若者たちの青春群像劇としての新選組でした。そのためには、新しい視点が必要だったのです。

におという「外部者」の視点を導入することで、壬生浪士組を客観的に描くことが可能になりました。におは最初、壬生浪士組のことを何も知りません。読者もにおと同じ目線で、この組織の実態を少しずつ知っていきます。土方歳三がどのような人物なのか、芹沢鴨の真意は何なのか、沖田総司の笑顔の裏には何があるのか。におの鋭い観察眼を通して、読者は新選組の新しい側面を発見していくのです。

また、におの存在は、史実のキャラクターたちにも新しい魅力を与えています。土方がにおを壬生浪士組に誘ったのはなぜか。芹沢がにおの観察力を認めたのはなぜか。近藤がにおを評価するのはなぜか。これらの問いを通じて、実在の人物たちの内面や人間性が、より立体的に描かれているのです。

さらに、におというキャラクターは、「正義とは何か」という作品の根本的なテーマを体現しています。彼の純粋な正義感は、時に芹沢の現実主義と衝突し、時に土方の覚悟と共鳴します。この対話を通じて、『青のミブロ』は単なる歴史再現ではなく、普遍的な人間ドラマとして機能しているのです。におというオリジナルキャラクターを創造したことで、安田氏は新選組という題材に新しい命を吹き込むことに成功しました。それは、史実の枠を超えた、全く新しい青春物語の誕生を意味しているのです。

青のミブロに関するよくある質問

『青のミブロ』のファンの間では、におの正体や作品設定について様々な質問が飛び交っています。ここでは、特に多く寄せられる質問とその答えをまとめました。これらの疑問を解消することで、作品への理解がさらに深まり、より一層『青のミブロ』の世界を楽しむことができるでしょう。

「にお」の白髪と青い目には実在のモデルがいますか?

におの最も特徴的な外見である白髪と青い瞳について、「何らかの実在の人物がモデルになっているのでは」と考える方もいますが、これは完全な創作設定です。幕末の日本において、このような外見を持つ日本人は極めて稀でした。作者の安田剛士氏は、におを視覚的に印象的なキャラクターにするため、あえてこの独特な外見を設定したと考えられます。白髪と青い瞳は、におが「特別な存在」であることを象徴的に示すデザインであり、物語の中でも彼が他の人々から注目を集める理由の一つとなっています。また、この外見は読者の記憶に強く残り、キャラクターの識別を容易にする効果もあります。

田中太郎や斎藤はじめも実在しない人物ですか?

はい、田中太郎は完全なオリジナルキャラクターです。「田中太郎」という極めて一般的な名前自体が、彼が史実には存在しない人物であることを示唆しています。一方、斎藤はじめは少し複雑です。彼は実在の新選組三番隊組長「斎藤一」をモチーフにしていますが、年齢設定や本名が「次郎」であることなど、大きくアレンジされています。史実の斎藤一は大人の剣士でしたが、『青のミブロ』のはじめはにおと同じ13歳という設定です。また、「斎藤一」の名前を継承する「二代目」という設定も創作です。つまり、三匹の狼のうち、におと田中太郎は完全なオリジナルで、斎藤はじめは実在の人物をモチーフにしつつも大幅に創作されたキャラクターと言えます。

第2期アニメで「にお」はどのように成長しますか?

2025年12月に放送予定の第2期「芹沢暗殺編」では、におの大きな成長が描かれることが予想されます。第1期で芹沢鴨の真意を理解し、彼との関係を深めたにおは、芹沢の死という衝撃的な出来事に直面します。ティザービジュアルでは、降りしきる雨の中でむせび泣くにおの姿が描かれており、この体験が彼に大きな影響を与えることが示唆されています。芹沢という強烈な存在を失うことで、におは「守るということ」「正義の複雑さ」「仲間の死」といった重いテーマと向き合わざるを得なくなるでしょう。この経験を通じて、単に優しいだけだった少年が、より深い覚悟を持った人物へと成長していくことが期待されます。第2期では、におの精神的な成熟が大きな見どころとなるはずです。

新選組の史実を知らなくても作品を楽しめますか?

はい、全く問題ありません。『青のミブロ』は、におという「新選組について何も知らない少年」の視点から物語が展開されます。読者もにおと一緒に、壬生浪士組のことを少しずつ知っていく構造になっているため、予備知識がなくても十分に楽しめます。むしろ、史実を知らない方が、におと同じ新鮮な驚きや発見を体験できるという利点もあります。もちろん、幕末の歴史や新選組について知識がある方は、史実と創作の絶妙な融合を楽しむという別の面白さがあります。どちらの立場でも、『青のミブロ』は充分に楽しめる作品になっているのです。アニメではナレーションや説明も丁寧に入るため、さらに理解しやすくなっています。

「にお」のような平民が実際の新選組にいた可能性はありますか?

新選組は「身分にとらわれず、実力で評価する」という側面を持っていた組織です。実際、農民や商人出身の隊士も存在しました。土方歳三自身が百姓の出身であり、近藤勇も農民の家に生まれています。その意味では、平民出身者が新選組にいたことは事実です。しかし、におのように完全な孤児で、剣術の訓練も受けていない13歳の少年が隊士として活動していたという記録は残っていません。新選組の隊士たちは基本的に剣術の心得がある者たちで、戦闘能力が求められていました。におのような非戦闘員タイプの少年が正式な隊士として記録に残る可能性は低いでしょう。ただし、記録に残らない雑用係や補助的な役割の少年がいた可能性は否定できません。『青のミブロ』は、そういった「歴史の影」にスポットを当てた作品とも言えます。

青のミブロ「にお」実在の真相まとめ

『青のミブロ』の主人公・ちりぬにおは、史実に実在しない完全なオリジナルキャラクターです。ひらがな表記の名前、幕末の日本人としては特異な外見、一般人レベルの戦闘能力、そして「歴史には残らない」という設定——これら全てが、におが創作されたキャラクターであることの明確な証拠です。芹沢鴨をモデルにしているという説も、性格・能力・立場の決定的な違いから否定されます。

作者の安田剛士氏があえてオリジナルキャラクターを主人公に据えた理由は、史実に縛られない自由な物語展開を実現し、読者が感情移入しやすい主人公を創造し、新選組を全く新しい視点から描くためでした。におは「三匹の狼」の中心として、田中太郎には希望を、斎藤はじめには優しさを与え、互いに影響し合いながら成長していく姿が描かれています。

2025年12月に放送予定の第2期「芹沢暗殺編」では、におのさらなる成長と葛藤が描かれ、物語は新たな段階へと進んでいきます。史実とフィクションが絶妙に融合した『青のミブロ』は、におというオリジナルキャラクターがいるからこそ、真の意味での「青春物語」として輝いているのです。

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