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2025年夏にアニメ化され、大きな話題を呼んだ『光が死んだ夏』。よしきとヒカルの切ない関係性に心を掴まれたファンの間で、「これってBL?それともブロマンス?」という疑問が絶えません。作者モクモクれん氏が「クィア」と表現するこの作品は、既存のジャンルの枠に収まらない独特の魅力を持っています。本記事では、ブロマンスとBLの違いを明確にしながら、2人の関係性を7つのポイントから徹底解説。さらに作品の変遷や視聴方法まで、『光が死んだ夏』のブロマンス要素を深掘りしていきます。第二期制作も決定した今、この作品の本質を理解する絶好のタイミングです。
ブロマンスとは?BLとの3つの違い

『光が死んだ夏』を観たファンの間で「これってBL?それともブロマンス?」という疑問が絶えません。よしきとヒカルの関係性に心を掴まれた方なら、この違いを理解することで作品をより深く楽しめるはずです。まずは、ブロマンスとBLの本質的な違いを明確にしていきましょう。
ブロマンスの定義:Brother+Romanceの造語が示すもの
ブロマンス(Bromance)は、Brother(兄弟)とRomance(ロマンス)を組み合わせた造語です。この言葉が生まれたのは2000年代のアメリカで、スケートボード雑誌の編集者が「四六時中一緒にスケボーをするような関係」を表現するために作られました。当初は軽いノリで使われていた言葉ですが、次第に「男性同士の極めて親密な友情」を表す言葉として定着していったのです。
ブロマンスの特徴は、恋人同士のように親密でありながら、恋愛感情や性的な要素を一切含まない点にあります。お互いを誰よりも理解し、信頼し、時には家族や恋人よりも優先してしまうような特別な絆。ただの友情という言葉では収まりきらない、けれど恋愛とは明確に異なる関係性を指す言葉なのです。代表例としては、シャーロック・ホームズとワトソンの関係がよく挙げられます。
BLとの決定的な違い:恋愛感情と性的要素の有無
ブロマンスとBL(ボーイズラブ)を分ける最も重要な境界線は、恋愛感情の有無です。BLは男性同士の恋愛を描くジャンルとして定義されており、登場人物の一方、あるいは双方が相手に対して恋愛感情を抱いていることが前提となります。たとえ性的な描写がないライトなBL作品であっても、恋愛感情が存在する限りそれはBLなのです。
一方、ブロマンスでは恋愛感情が介在しません。どれほど相手を大切に思い、深い絆で結ばれていても、その感情は友情や信頼、尊敬といった非恋愛的なものです。ここで重要なのは、片思いであっても一方が恋愛感情を抱いた瞬間、その関係はブロマンスではなくBLに分類されるという点です。
- 性的接触や恋愛描写の有無
- 恋愛関係への発展可能性の有無
- 作品のジャンル定義における位置づけ
これら3つの観点から見ると、BLは恋愛物語として位置づけられるのに対し、ブロマンスは友情や絆を主軸とした関係性として描かれます。『光が死んだ夏』がファンの間で議論を呼ぶのは、まさにこの境界線上に位置する作品だからなのです。
作者モクモクれんが語る「クィア」としての位置づけ
では、作者であるモクモクれん氏は本作をどのように位置づけているのでしょうか。モクモクれん氏はBlueskyでの投稿において、『光が死んだ夏』について非常に興味深い発言をしています。「読んだ人が自由に考えるもの」としながらも、「ロマンスではないクィアの話が存在しても良い」「恋愛物語として位置付けない」と明言しているのです。
ここで登場する「クィア」という言葉は、LGBTという既存のカテゴリーに収まらない性的指向や性自認を持つ人々を表す言葉です。つまり、よしきとヒカルの関係は「BLでもある」とも「BLではない」とも確定せず、読者それぞれの解釈に委ねられた曖昧な状態こそが作品の本質だということ。
モクモクれん氏は「『普通』になれない、居場所がない恐怖」を描きたいとも語っています。これは単なるジャンル分けの問題ではなく、カテゴライズされないこと自体がテーマなのです。ブロマンスと見るのも正解、BLと見るのも正解。この「どちらでもある/どちらでもない」という状態こそが、『光が死んだ夏』の「クィア」としての性質であり、多くのファンを魅了する理由なのです。
よしきとヒカルの関係性を紐解く7つのポイント

『光が死んだ夏』の核心にあるのは、よしきとヒカルの複雑で切ない関係性です。ブロマンスともBLとも言い切れないこの関係は、一体どのような要素で構成されているのでしょうか。7つのポイントから、2人の絆の本質に迫っていきます。
ポイント①:よしきの光への恋愛感情と葛藤
よしきが生前の光に抱いていた感情は、明らかに恋愛感情でした。光から好きな女子のタイプを聞かれた際、よしきは途端に不機嫌になります。また、集落で同性愛者が悪く言われる場面では、よしきが擁護するような言動を見せています。これらの描写から、よしきの性的志向と光への特別な想いが読み取れるのです。
閉塞的な田舎の集落で、同性への恋愛感情を抱くことの苦しさ。よしきにとって光は、ただの親友以上の存在であり、自分が生きていくための唯一の光だったのです。しかし、その光が「ヒカル」という別の何かに変わってしまった今、よしきの感情は複雑な葛藤を抱えることになります。
ポイント②:ヒカルの「めっちゃ好き」の真意
ヒカルはよしきに対して「めっちゃ好き」と発言していますが、この「好き」は人間が理解する恋愛感情とは異なります。そもそもヒカルは人間ではなく怪異であり、恋愛という概念そのものを理解していません。人を簡単に殺せる存在であるヒカルにとって、人間の価値観で物事を測ることは不可能なのです。
では、ヒカルの「好き」とは何を意味するのでしょうか。それは、自分を受け入れてくれるよしきへの強い執着です。この執着が、ヒカル自身の感情なのか、それとも生前の光の記憶の残滓によるものなのかは明確にされていません。ヒカルにとってよしきは「大切な存在」であり、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれません。
ポイント③:互いに依存し合う共依存的な絆
よしきとヒカルの関係は、健全な友情とは言い難い共依存的な側面を持っています。よしきにとって、閉塞的な村という「異世界」で生きていくために必要な唯一の存在が光であり、今はヒカルです。村の人々は理解不能で不可解な「怪物」のように感じられ、家から出たいという願望を抱き続けてきました。
一方、ヒカルもよしきに依存しています。自分が人間ではないと知りながらも受け入れてくれる存在は、ヒカルにとって代えがたいものです。お互いがお互いを必要とし、離れられない関係。この共依存的な絆こそが、2人の関係をより複雑で切ないものにしているのです。
ポイント④:キスシーンがない理由と意味
『光が死んだ夏』には、よしきとヒカルのキスシーンは一切登場しません。生前の光とよしきの間にもキス描写はなく、2人の距離感は「仲の良い幼馴染」の範疇を出ていないのです。これは、本作がBLではなくブロマンスとして描かれている大きな証拠の一つと言えるでしょう。
しかし、キスシーンがないからといって、2人の関係が軽いわけではありません。むしろ、肉体的な接触を描かないことで、精神的な絆の深さがより際立つのです。言葉にならない想い、触れることのできない距離感。このもどかしさこそが、『光が死んだ夏』の魅力であり、多くのファンの心を掴んで離さない理由なのです。
ポイント⑤:ゼロ距離で近づくヒカルの異質性
ヒカルの特徴的な行動の一つが、よしきにゼロ距離で近づくことです。中身が怪異であるため、人間的なパーソナルスペースの概念を持たないヒカルは、異常なほど近い距離でよしきに接します。この距離感の異常さが、一部のシーンをBLのように見せる要因となっているのです。
しかし、この近さは恋愛的な親密さとは異なります。ヒカルにとっては、単によしきに近づきたいという純粋な欲求の表れに過ぎません。人間の常識や社会的なルールを理解しないヒカルだからこそ、このような行動が可能なのです。この異質性が、物語にホラー要素を加えると同時に、2人の関係の特殊性を強調しています。
ポイント⑥:生前の光の記憶と現在のヒカルの感情の混在
ヒカルの中には、生前の光の記憶が残っている可能性があります。ヒカルがよしきに執着する理由の一つは、この記憶の残滓かもしれません。光が生前抱いていたよしきへの想い(それが友情であれ、何か別の感情であれ)が、ヒカルの行動に影響を与えている可能性は十分にあります。
この「光の記憶」と「ヒカル自身の感情」の混在が、2人の関係をさらに複雑にしています。よしきが向き合っているのは、光なのか、ヒカルなのか、それとも両方なのか。この曖昧さが、作品全体に漂う不安定で切ない雰囲気を生み出しているのです。
ポイント⑦:「偽物でも良い」というよしきの覚悟
物語の中でよしきは、目の前にいるのが本物の光ではないと知りながらも、「偽物でも良い」という覚悟を決めます。光の体の中に手を入れた時、よしきは「気持ちいい」と感じるのです。この感覚は、外の世界(村)の常識からすれば「絶対にあかん」ものです。
しかし、よしきにとって村こそが異質で恐ろしい存在であり、ヒカルの中にいる時こそが安らぎなのです。この逆転した恐怖の構造が、『光が死んだ夏』を単なるホラーではなく、よしきの内面を描いた青春物語にしています。「偽物でも良い」という覚悟は、よしきがヒカルとの関係を選び取った決定的な瞬間であり、2人の絆の深さを象徴するシーンなのです。
プロトタイプ版から商業化までの変遷とブロマンス要素の変化

『光が死んだ夏』が現在の形になるまでには、興味深い変遷がありました。作品のジャンルとしての位置づけが変化していく過程を追うことで、ブロマンスとBLの境界線がいかに曖昧であるかが見えてきます。
Pixiv版では人外BLとして描かれていた
現在は削除されていますが、モクモクれん氏は商業化前にPixivでプロトタイプ版を投稿していました。この初期版には「創作BL」タグがつけられており、現在の商業版よりも恋愛要素が強い「人外BLもの」という内容だったそうです。つまり、『光が死んだ夏』は元々BL作品として構想されていたのです。
コロナ禍で時間ができたモクモクれん氏が、昔から温めていた構想を漫画という形で制作し、Twitterに公開したところ大きな反響を得ました。複数の編集部から声がかかり、最終的に『ヤングエースUP』での連載が決定。この時点で、作品は大きな転換点を迎えることになります。
商業化でブロマンス要素に薄められた経緯
商業化に際して、本作のBL要素はブロマンス程度に薄められました。ジャンル区分としては「女性向けホラー」として発売されており、恋愛描写や性的な描写は意図的に抑えられています。これは、より幅広い読者層にリーチするための戦略的な判断だったと考えられます。
興味深いのは、コミックス1巻の発売時には作者がBL作品としてインタビューを受けている記事も存在する点です。つまり、商業化の初期段階では「BL要素のあるホラー作品」としての側面も強調されていたのです。しかし、作品が人気を博すにつれて、「青春ホラー」という位置づけが前面に出るようになりました。このジャンルの揺らぎが、作品の魅力を増幅させる結果となったのです。
ジャンル曖昧性が生んだ幅広い支持層
『光が死んだ夏』の大きな成功要因の一つが、このジャンルの曖昧性です。BLファンは恋愛要素を読み取り、ホラーファンは青春ホラーとして楽しみ、ブロマンスを好む層は友情の物語として受け止める。同じ作品でありながら、読者それぞれが異なる解釈で楽しめる懐の深さが、幅広い支持層を生み出しました。
TikTokで流行した際には女性読者が多かったと作者が語っていますが、現在では性別や年齢を問わず多くのファンに愛されています。「このマンガがすごい!2023」オトコ編で第1位を獲得し、2025年には累計発行部数400万部を突破。アニメ化によってさらに注目を集め、第二期の制作も決定しています。ジャンルを限定しなかったことが、かえって作品の可能性を広げる結果となったのです。
『光が死んだ夏』の視聴・購読ガイド

『光が死んだ夏』の魅力に触れたいけれど、どこで視聴・購読できるのかわからないという方のために、アニメの視聴方法と原作漫画の購入方法をわかりやすくご紹介します。
アニメの視聴方法:Netflix・ABEMA・日本テレビ
アニメ『光が死んだ夏』は2025年7月から9月まで第一期が放送され、すでに第二期の制作も決定しています。視聴方法は主に3つあり、それぞれに特徴があります。
Netflix(世界独占配信)では、全話見放題で視聴可能です。無料トライアル期間はありませんが、月額料金のみで追加料金なしで全エピソードを楽しめます。広告付きスタンダードプラン(月額790円)、スタンダードプラン(月額1,490円)、プレミアムプラン(月額1,980円)の3つのプランから選べ、視聴期限を気にせずいつでも好きな時に視聴できるのが最大のメリットです。
ABEMA(無料独占配信)では、会員登録不要で無料視聴が可能です。ただし、放送後は一定期間のみ無料で視聴でき、期間を過ぎるとABEMAプレミアム会員(月額960円)への登録が必要になります。ABEMAプレミアムに登録すれば、広告なしでの視聴や見逃し配信の全話視聴が可能になります。無料で気軽に視聴したい方には最適な選択肢です。
日本テレビ系列では、毎週土曜24:55から地上波で放送されています。テレビでリアルタイムに視聴したい方や、録画して楽しみたい方におすすめです。
原作漫画を読む方法:電子書籍サイト比較
原作漫画『光が死んだ夏』は、2025年11月時点で第7巻まで発売されています。最新話は、KADOKAWAが運営する「ヤングエースUP」で無料で読むことができます。会員登録やアプリのダウンロードが不要で、ブラウザから直接アクセスして最新話を楽しめるのが魅力です。
電子書籍で全巻購入したい場合は、各サービスの初回特典やクーポンを活用するのがお得です。ebookjapanでは初回登録で70%OFFクーポンが6回分もらえるため、全巻まとめ買いをする場合に最も安く購入できます。BookWalkerやKindleなども定期的にセールを開催しているので、チェックしてみる価値があります。
まとめ読みしたいけれど購入には迷っているという方には、DMMコミックレンタルがおすすめです。14泊15日で数百円からレンタル可能で、一度全巻を流し読みして作品の世界観を確認したい場合に最適です。また、めちゃコミックなどのマンガアプリでは、期間限定で無料公開されることもあるので、こまめにチェックしておくと良いでしょう。
『光が死んだ夏』に関するよくある質問

『光が死んだ夏』をブロマンス作品として楽しむ際に、ファンからよく寄せられる質問にお答えします。これらの疑問を解消することで、作品をより深く理解し、自分なりの楽しみ方を見つけることができるでしょう。
ブロマンス作品として楽しむ際の注目ポイントは?
『光が死んだ夏』をブロマンス作品として楽しむなら、よしきとヒカルの「言葉にならない絆」に注目してください。2人はキスシーンなどの肉体的な接触を一切持ちませんが、それだけに精神的な結びつきの強さが際立っています。よしきがヒカルの正体を知りながらも「偽物でも良い」と覚悟を決めるシーンは、友情を超えた何かを感じさせる名場面です。
また、2人の距離感の変化にも注目です。生前の光とよしきは「仲の良い幼馴染」という範囲内でしたが、ヒカルになってからはゼロ距離で近づく場面が増えます。この異質な距離感が、BLともブロマンスとも解釈できる曖昧さを生み出しているのです。この曖昧さこそが、本作の最大の魅力と言えるでしょう。
さらに、よしきの内面描写に着目することで、ブロマンスならではの深みを感じられます。よしきにとって村は「異世界」であり「怪物」であり、唯一の居場所が光(ヒカル)の側だけという設定。この構造が、2人の関係を単なる友情以上の特別なものにしています。恋愛ではないけれど、誰よりも深く結ばれた絆。それがブロマンスの本質です。
原作とアニメではブロマンス描写に違いがありますか?
原作漫画とアニメでは、ブロマンス描写の雰囲気に若干の違いがあります。原作は静止画だからこそ、読者の想像力に委ねられる部分が多く、2人の関係性をどう解釈するかは読者次第という側面が強いです。一コマ一コマの表現力が高く、よしきの複雑な感情が繊細に描かれています。
一方、アニメでは声優の演技と音楽、映像の演出が加わることで、より臨場感のある表現になっています。小林千晃さん(よしき役)と梅田修一朗さん(ヒカル役)の声の演技が、2人の関係性に新たな深みを与えています。特に、2人の会話のトーンや間の取り方が、ブロマンスとしての絆を感じさせる重要な要素になっているのです。
ただし、原作とアニメで物語の本質やキャラクターの関係性が大きく変わることはありません。どちらで楽しんでも、よしきとヒカルの特別な絆は変わらず描かれています。むしろ、原作とアニメの両方を体験することで、より多角的に作品を楽しめるでしょう。それぞれのメディアの特性を活かした演出の違いを比較するのも、ファンとしての楽しみの一つです。
『光が死んだ夏』ブロマンスの魅力まとめ

『光が死んだ夏』は、BLでもなくブロマンスでもあり、そのどちらでもない――そんな不思議な魅力を持つ作品です。よしきとヒカルの関係性は、読者それぞれの解釈に委ねられた「クィア」な物語として、多くのファンの心を掴んで離しません。
本作の最大の魅力は、ジャンルの境界線を曖昧にすることで生まれる自由な解釈の余地です。恋愛感情があるように見えるけれど、それを明確には描かない。友情以上の絆があるけれど、それが何なのかは定義されない。この曖昧さが、かえって2人の関係をより深く、より特別なものに感じさせているのです。
プロトタイプ版から商業化を経て、本作は人外BLからブロマンス要素を含む青春ホラーへと姿を変えました。しかし、その変化こそが作品の可能性を広げ、幅広いファン層を獲得する結果となりました。BLファンもホラーファンもブロマンス好きも、それぞれが自分なりの楽しみ方を見つけられる懐の深さ。それが『光が死んだ夏』という作品の本質です。
アニメ第二期の制作も決定し、今後さらなる展開が期待される本作。よしきとヒカルの関係がどのような結末を迎えるのか、多くのファンが固唾を呑んで見守っています。あなたも、この「カテゴライズされない」物語の世界に飛び込んでみませんか?ブロマンスとして、あるいはあなただけの解釈で、『光が死んだ夏』の深い世界を存分に楽しんでください。
数ヶ月後、第二期の放送が始まる頃には、さらに多くのファンがこの作品について語り合うことでしょう。今から原作を読み、アニメ第一期を視聴しておけば、その熱い議論の渦中に飛び込む準備は万端です。よしきとヒカルの物語は、まだ始まったばかり。この夏の終わりに始まった物語の続きを、一緒に見届けましょう。
ゼンシーア 
